水産研究本部

試験研究は今 No.168「タラ類の釣り漁業の歴史」(1993年12月10日)

タラ類の釣り漁業の歴史

  スケトウダラ漁業の前身であるタラ類の近世後期における釣り漁業の歴史について紹介します。

  蝦夷地(北海道)の福山(現在の松前)で、それまで豊漁だったニシンがとれなくなりはじめた安永5年(1776)ころのことです。江差でも天明2年(1782)ころからニシンが凶漁になり、以後、数十年にわたり不漁が続きました。後に漁は回復するものの、松前地方はニシンの不漁地帯となったわけです。文化年代(1803~1813)初期のころ、秋田の南部地方から松前のニシン漁場に来ていた漁師によって北海道に初めてタラ釣りの技術がもたらされました。

  このころの東蝦夷地(太平洋沿岸)は、松前藩管轄をやめて幕府直轄となっていました。松前藩の業績が上がらなかったので、幕府は文化3年(1806)遠山の金さんこと幕府目付遠山金四郎景晋と勘定吟味役村垣左太夫定行の両人を西蝦夷地(日本海沿岸)に派遣し、視察をさせています。この視察がもとで、後に岩内から余市までの道路が開通しました。この道路の目的は、「追いニシン」と称し南から北の古平、余市、厚田の方に漁場を求めて移動する人や資材を運ぶためのものでした。また、このころは、内外共に大変な時期で、米と同じくらいに大切なニシンが不漁だったり、ロシア船が、たびたび蝦夷地に現れて事件を起こしている時でもあったので、幕府は西蝦夷地も直轄とし、松前藩に適正な統治をさせ、業績を上げるよう迫っていました。

  松前地方を発祥の地としたマダラ釣り漁業は、開拓の進展に伴い東西蝦夷地に広がりました。恵山漁場を中心に北は熊石から南は戸井に至る海域で行われ、後に釧路方面まで広がって行きました。漁獲されたマダラは塩蔵され、アキアジと共に貴重な交易品として、お正月に間に合うように江戸に送られていました。

  このころ行われていたタラの釣りと刺し網についてみると、次のように紹介されています。

  『先ず釣漁具としては「ゴロタ縄」と延縄があげられる。ゴロタ縄は一条の条策に拾本許の釣針を付け、最下端辺に石の錘をつけた流縄である。この使用法は、「これを(ゴロタ縄)水中に投下するや一点の最下釣に触るゝ時急に垂索を引く引き(方言アワセルと云う)で復た下す。かくすること数回にして七八釣に及ぶも、一二の残釣なき能はざるに由り、更に放漂すること暫時すなわちこれを「ナガシ」と云う。すでにして残釣なきと認むるの後始めてこれを曳揚ぐるなり」と(北海道漁業志要)にある。このゴロタ縄は海底が岩礁ではえ縄の使用に適しない所で用いられた。延縄は鱈漁業でも最も広く使用された釣具である。鱈釣具の発達はゴロタ縄、延縄、浮縄で行われた。鱈網に使用されたのは刺網であり、本道では嘉永元年(1848)箱館の漁業者五兵衛なる者が代用試験として使った』と大成町史にあります。(原文のまま引用)

  このマダラ釣りを祖としてソイ釣りが行われ、スケトウダラの釣り漁業が始まったのは80年ほど後になります。

  スケトウダラ延縄漁業の発祥地は新潟県の佐渡で、明治16年(1883)ころ川崎船を用いてスケトウダラを漁獲したのが始まりとされています。

  北海道においては、明治32年(1899)江差町の中川幸蔵氏がソイ延縄でスケトウダラを漁獲したのに始まり、同37年(1904)から久遠村の山口治三郎氏によって専業化されました。また、砂原において明治32年ころに刺網漁法が始まり、今日のスケトウダラ刺し網漁業に及んでいます。

  あれほど盛んであった日本海のニシン漁業に不安を感じた岩内の増田庄吉翁なる方が、明治35年(1902)に佐渡に直接出向いてスケトウダラ延縄漁業を習得し、翌36年11月18日に岩内前浜において北海道で初めての試験操業を実施しております。この時の試験操業に使用された漁具の仕様は、餌が塩イワシ、幹縄3分麻、長さ45尋、枝糸の長さ1尺5寸で2尺5寸間隔となっています。この仕立ての延縄38枚を使用してスケトウダラ800尾を漁獲し、翌19日には延縄40枚で2,600尾を漁獲しています。翌37年2月15日までの漁期中に合計23万尾(1,600円)の水揚げをしました。スケトウダラの単価は、約0.7銭/尾で、1円に140尾前後となります。この試験操業の収支は、延縄1枚の値段が瀬樽、瀬縄付きで50銭ぐらいでしたから、試験操業の成果としてはまあまあといったところでした。

  大正12年に、岩内在住の三国竹次郎氏によって動力船が使用されました。同じころ、森井市太郎氏によってみりん干しや明太の加工が始められて、韓国や中国に輸出されています。

  大正末期から昭和初期にかけてスケトウダラの付加価値は急速に増し、昭和3年からは下田式純肝油の製造が、また、みりん干しのローラ掛けが始まり(岩内町史、岩内漁業協同組合史)、昭和8年にムツの子の代用として生子が大阪方面に出荷されるなどして、今日の漁業の発展の基になりました。
(中央水試特別研究員 田中富重)
    • 図 スケソウダラ漁業の歴史