水産研究本部

試験研究は今 No.152「後志における放流人工種苗ヒラメの水揚げ状況調査」(1993年7月16日)

後志における放流人工種苗ヒラメの水揚げ状況調査

  1989年から石狩湾をモデル海域としてヒラメ放流技術開発事業が進められ、余市町沖を中心に人工種苗ヒラメが大量に放流されてきました。水産試験場では放流したヒラメがどれくらい水揚げされているかを調べるために1989年9月から余市郡漁協において市場調査を始めました。市場調査では水揚げされたヒラメの尾数とその中の人工種苗ヒラメ(体色異常で判断)の尾数、大きさ、標識の種類などを記録します。作業は非常に簡単ですが、この調査から得られる結果は放流の効果を検討するときの最も基本的な情報を提供してくれます。  

  1991年4月までは余市郡漁協だけで市場調査を実施していましたが、放流されたヒラメが時間の経過とともに分布範囲を広げて近隣の漁協でも水揚げされるようになることから、1991年5月からは小樽市、古平、美国町および岩内郡の各漁業協同組合でも市場調査を始めるようになりました。さらに1992年5月からは市場調査の範囲を後志海域全域に広げて管内の全ての漁協で調査が実施されるようになりました。  
  市場調査は当初水産試験場と水産技術普及指導所の職員によって行われていましたが、今では漁協および市町村の職員も加わって組織的に調査を進めています。  
  ここでは、1992年5月から12月の期間に後志支庁管内で行われた市場調査の結果をもとに、人工種苗ヒラメの放流効果についてお知らせしたいと思います。  

図1 人口種苗ヒラメ推定水揚げ尾数
  図1に後志管内11漁協の人工種苗ヒラメの推定水揚げ尾数を海岸線に沿って順番にならべてみました。回収尾数は放流海域に最も近い余市郡漁協が最も多く、余市から離れるにしたがってしだいに減少していることがわかります。南後志海域(積丹半島南側の後志支庁)でも人工種苗は水揚げされていますが、その数は神恵内を除いて余市郡漁協の約10パーセント程度と低くなっています。
図2
  図2に後志管内で水揚げされた人工種苗ヒラメの漁協別割合を示しました。それによると、余市郡漁協が後志管内で水揚げされた人工種苗ヒラメの36.4パーセント、小樽市漁協が8.7パーセント、古平漁協が18.3パーセントそして美国町漁協が10.5パーセントを占めており、石狩湾海域だけで全体の73.9パーセントを占めています。これまでの標識放流試験の結果から、放流されたヒラメは主に南下移動し、ほとんど北上移動しないことが知られています。北海道日本海側の後志支庁以北では1989年以降(1992年には留萌海域で、3,159尾放流された)石狩湾でしかヒラメの放流が行われていないことから、後志海域で漁獲された人工種苗ヒラメの起源は、ほとんど全てが余市沖で放流された群であると考えられます。人工種苗ヒラメはほとんどが共同漁業権内で漁獲されていることから、余市海域で放流された人工種苗ヒラメは放流海域からおよそ半径30キロメートル以内で70パーセント以上が漁獲されていることになります。
  以上のことから判断して、放流したヒラメは比較的広範囲で漁獲されているものの放流海域近辺で漁獲されるものが多く、放流海域から離れるにつれて漁獲尾数が急激に低下することが分かりました。このようにヒラメは、放流した人たちが漁獲できるという点で、栽培漁業対象魚種として適していると考えられます。 
  1996年には瀬棚と羽幌の日本海栽培漁業センターが稼働し始め、事業化べ一スでヒラメ栽培漁業が展開されるようになります。その時には日本海に200万尾以上の人工種苗ヒラメが放流されることになります。ヒラメ放流技術開発事業は一応終了しますが、その後も放流したヒラメが順調に水揚げされているかをモニタリングする必要はあるでしょう。 
  モニタリングは各協議会の重要な仕事になると考えられます。もちろん、現在行っているような詳細な市場調査は負担が大きすぎると思いますが、盛漁期の数日間の調査でも効果の判定が可能なので、臨機応変に対応することが必要でしょう。  
  市場調査はこれからも続きます。桧山海域や津軽海峡海域外では、調査結果がまとめられ、放流効果が確認されています。今後、道北海域での市場調査体制の確立が必要ですが、皆さんも栽培漁業に積極的に参加して、自らの資源を考えてみて下さい
(中央水試漁業資源部 富永 修)