法人本部

メロン 空知交20号

第2話  おいしくて病害に強い赤肉メロンを目指して             

道総研 花・野菜技術センター 八木 亮治

 

 空知交20号            

メロンの写真北海道のメロンの出荷量シェア(2008年)は16%と、茨城県(23%)に次ぎ、国内第2位となっています。

メロンは、本来、乾燥を好む作物で、日本のような多湿では病気が出やすく、栽培も難しくなります。生育温度は、昼間は25~28度、夜間は18~20度、地温は20~25度の範囲が好適とされ、その幅を超えると生育・品質が低下します。

果肉色は、大きく分けて緑、赤、白の3色があります。本州で栽培されているメロンの多くはアンデスメロンなど緑色ですが、これは、明治時代に導入され、今でも高級メロンの代名詞として販売されている網メロンの代表品種であるアールスフェボリットが緑肉であったことが影響したと考えられています。一方、北海道ではメロン作付面積の9割を赤肉が占めていますが、この理由は夕張メロンの普及が大きくかかわっています。

夕張メロンの生産の歴史は、1960年頃に始まります。戦後まもなくから「面積の小さい山間の土地で、火山灰質の土に適した作物」に関して試行錯誤が繰り返されていましたが、道農業改良普及センターはメロンに着目し、他の産地に負けない、特徴を際立たせるため、当時としては非常に高い食味基準を設けるとともに、赤い果肉色の品種を選択したのです。  

当初、赤い果肉のメロンは、築地市場の仲買人から「カボチャ」などと笑われ、食に関する既存観念をどう崩していくか-この課題に農協職員はあらゆる分野に全力で取り組みました。札幌・円山球場で開催される巨人戦でホームラン賞に夕張メロンを提供し、ある有名選手が「北海道の楽しみは海産物と夕張メロン」と語ったことが報じられ、夕張メロンの知名度は一気に高まり、都内の有名デパートがギフト商品として扱われ、多くの方がその美味しさを知ることになりました。その後も、様々な課題を乗り越え、夕張は国内有数のメロン産地へと成長したのです。

花・野菜技術センターは、赤肉メロンを栽培されている生産者を支援するために様々な試験研究や技術支援等に取り組んでいます。

センターでは「赤肉メロン品種の耐病性強化プロジェクト」を2008年に始動し、「美味しくて病害に強いメロンをつくる」との研究者や生産者の熱い思いが結集した品種「空知交20号」が誕生しました。各種の病害に強い抵抗性をもつ国内初の赤肉メロンであり、糖度が高く香りも芳醇で、北海道の主要品種「ルピアレッド」と同等以上の美味しさを実現し、2011年に北海道の優良品種に認定されました。

メロンは高級フルーツとしてアジアなどへの輸出が伸びています。有力新品種の登場に産地の皆さんの期待が高まっています。


メロンの接ぎ木の様子 ◇ コラム  世界をリードする技術 ◇

接ぎ木という技術をご存じですか。接ぎ木とは、2個以上の植物体を、人為的に作った切断面で接着して、1つの個体とすることです。例えば、美味しいメロンも根の病害に弱ければ栽培することはできません。しかし、病害に強い品種の根に美味しい品種を接ぎ木すると、順調に生育し、実を成らせることができるようになります。

接ぎ木では、根を使う方を台木(写真左側)、実際に果実を収穫する方を穂木(写真右側)と呼びます。

1993年に北海道で発生した、つるや葉がしおれるつる割病(レース1,2y)を克服するため、99年世界初の抵抗性台木「どうだい1号」を育成しました。以後、土壌伝染性のウイルス病であるえそ斑点病に対して「どうだい3号」(2002年)を、さらに、これら両病害に対応する「どうだい4号」(05年)を育成するなど、世界のメロン台木育種技術をリードしてきました。

その後、接ぎ木は、台木の種子購入の負担が大きいことや、細かい作業が多いなど、高齢化が進んだ産地での課題が浮かび上がってきたことから、次のステップとして、穂木品種に病害抵抗性を導入して、接ぎ木をしない栽培を目指す「赤肉メロン品種の耐病性強化プロジェクト」を08年に始動し、「空知交20号」の開発に至りました。

 

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◇メロンをもっと知るために◇

空知交20号ポスター(pdf)

 

次回は6月の予定です。