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林産試だより2006年9月号 森林,林業の今昔

   

森林,林業の今昔

宮島 寛(元北海道大学教授)




写真1 冬山実習:昭和29年
台風被害地での学生たちの姿
(昭和30(1955)年1月)

 宮島寛先生におかれましては,去る2月24日にご逝去されました。
 先生は,林業と木材産業の接点の研究を精力的に手がけられ,トラス構造やフィンガージョイントの普及をはじめ,ツーバイフォー工法などの住宅建設分野にも造詣が深く,「NPO北海道住宅の会」を通じて,さらに木材と建築との連携強化を図られる活動を始められたばかりでした。
 先生のご冥福をお祈りいたします。
 合掌


 
 

 神代の時代から適材適所

 『日本書紀』に素盞嗚尊(須佐之男(すさのお)の(の)命(みこと))が,わが子の治める国に舟や宮がなかったらよくないだろうと,ひげを抜いて杉,胸毛から檜(ひのき),尻毛から槙(まき),眉毛を樟(くすのき)として与え,杉と樟は舟,檜は宮,槙は寝棺にされたと書かれています。言ってみれば,神代の時代から,用途・目的に合わせて木は育て,使うという発想があったのです。しかし,昨今の日本は,木材自給率が18%にすぎません。北海道でも45%と,実に地元の木が使われていません。補助金がないと成り立たない林業では,外材に太刀打ちできないし,良いものも作れないと思います。


 屋久島のウィルソン株のスギは伐られたが,縄文杉はなぜ伐られずに残ったか?

 豊臣秀吉は京都・方広寺に天下一の木造大仏を寄進するため,巨大スギを伐採させたと言われます。秀吉の時代以前から,屋久杉の割り柾である平木(ひらき)が,屋根ふき材,外壁材として利用されていました。貴重品でしたので,税として納めたり,米穀に交換されたりしていました。屋久杉とは,樹齢1000年以上のスギを呼びます。とにかく,昔は良い木が多かったので,縦引き鋸は使わず,丸太にしてからくさびを入れて割って柱や板にしていました。
 植物学者ウィルソンによって発見されたウィルソン株(写真2)は標高1,030mに,縄文杉は1,300mにありました。縄文杉は高いところにあったので伐られなかったこともありますが,表面はガタガタで素性が悪かったこともあるようです。現存する縄文杉,弥生杉(写真3)など超大木は,いずれも外から見て通直でないものばかりです。



左:写真2 ウィルソン株の杉(1994年11月)    右:写真3 屋久島弥生杉(1994年11月)





写真4 屋久杉土埋木(1994年11月撮影)



 伐採したけれど,割れそうにもないものは放置され,土埋木(どまいぼく,写真4)となりました。今から30年前ぐらいから屋久杉は伐採できなくなったので,品質が良いものは,地上に置いてあるのに土埋木と呼ばれて,立方あたり100万円の高価になっています。  なお,縄文杉は樹齢7200年と言われていますが,それには疑問があるようです。屋久島の北方に位置する硫黄島の噴火により屋久島の森林は消失しました。大噴火は約6000年前の出来事で,一般的に植物は数百年で復元しますが,屋久島は3000年ぐらいかかったと言われています。ですので,縄文杉の樹齢は2000年ないし4000年程度でしょうか。



 世界一高い木,幹材積最大の木

 最も樹高の高い木はセコイア(Redwood,写真5)で,アメリカのカリフォルニア州にたくさんあります。屋久杉と同じように割り柾にして,外壁などに使うと,10年ぐらいで非常に良い色になります。また,幹材積最大の木は,同州東部のシェラ・ネバダ山脈の南にあるセコイア国立公園のジャイアント・セコイアです。「シャーマン将軍(写真6)」と呼ばれるものは,材積が1,100m3にものぼります。推定樹齢2,300-2,700年,樹高83.8m,底部の最大直径が11.1m,樹皮の最大厚は78cm,枝の最大直径は2.1m(平成7(1995)年の資料)もあるので,スケールが違います。



    左:写真5 樹高が世界で最高になる木 セコイア
(Redwood,Sequoia sempervirens)(1981年11月撮影)

   右:写真6 幹材積が世界最大の木ジャイアント・セコイア
(Giant Sequoia,Sequoia dendron giganteum) “シャーマン将軍”(1995年7月撮影)



 100年前頃の北米西部の巨木伐採

 ベイスギは構造材料として,最も世界で優れた材です。強度ではさらに優れたものもありますが,ベイスギはなんと言っても量があります。かつて馬車や汽車が延々とつらなり,膨大な木材を壮大な規模で運び出した時代があったのです。ベイスギは,ドイツのシュバルツバルトやニュージーランドに植えられたり,日本にも試験的に植えられました。
 おもしろいことに,伐採後に林地を焼き払うと,ベイマツの松かさが生き残って芽を開きます(写真7)。5年後には一面ベイマツ林になります。森林火災に生き残る術をベイマツ(写真8)は獲得しており,同じような性質はパイン類に見られます。
 米国では木材の需要量が増えていますが,供給量は平成3(1991)年から伸びていません。西部の天然林が,フクロウ保護のために伐採できなくなったためです。そこで,アトランタなど南部の綿畑にサザンパインが植えられました。ベイマツよりも堅く,生長も良いので,平成6(1994)年には西部の生産量と同程度になっています。しかし,総需要量も増えたため輸入にも頼らざるを得ない状況で,針葉樹の輸入量は現在,世界一です。なお,輸入先の99%がカナダです。



    左:写真7 ベイマツ伐採跡を焼却(1981年)

   右:写真8 ベイマツ天然林を皆伐焼却60年後にできたベイマツ二次林(1981年撮影)



 北海道における森林の商業伐採の始まり

 北海道における商業伐採は,相当以前から行われていました。国有林に勤めていた地蔵慶護さんの「北の造材師 飛騨屋久兵衛」(千歳民報 平成7(1995)年)によれば,飛騨高山に生まれた木材問屋の初代・飛騨屋(武川)久兵衛倍行(ますゆき)は元禄15(1702)年に蝦夷地に入り,伐採地は道南,石狩川の支流・夕張川,幾春別川,漁川の流域,道北の天塩川,道東の厚岸,釧路,標津地方の各河川,日高・胆振地方の沙流川,勇払川など,全道各地のかなり奥の上流にまで達していたようです。ヒバ,エゾマツ,トドマツの針葉樹を伐採して,江戸や大坂に海産物とともに運び,巨額の富を得たとあります。



 七飯のガルトナーのブナ林は国盗り物語



写真9 ガルトナーのブナ林(2002年11月)


 大沼から七飯に向かうところの渡島森林管理署にある「ガルトナーのブナ林」です(写真9)。ドイツ人のガルトナー兄弟の兄であるR.ガルトナーが,幕末,この土地数haにブナの山引き苗を植えたものです。兄弟は,文久3(1863)年箱館に来航し,商売を営み,弟のC.ガルトナーが慶応元年に箱館駐在副領事となったのを機に,兄弟で道南に土地を借りて,榎本武揚の政府と「99か年にわたり約1,000haの土地を租借する」契約を結んだのです。そのため,榎本政権の崩壊後,新政府は土地の返還に62,500ドルという大金を支払うことになりました。当時の最新鋭の船が40万ドルですので,今の何億にも相当するものです。



 朱鞠内湖にあったアカエゾマツ巨木は超安値でパルプに

 昭和30(1955)年,今から50年前のカラー写真です(写真10)。北大雨竜演習林は明治34(1901)年に学校基本林として国有林から譲渡されたもので,当初3万町歩(1町歩≒1ha)ありました。昭和3(1928)年から数回にわたりダム用地(現:朱鞠内湖)として雨竜電力(現:北海道電力)に6,122町歩を,そこにあったアカエゾマツの巨木もパルプ材として製紙会社に売却されました。ミズナラ,カンバ類,ハルニレ,シナ,ヤチダモなどは立派な樹でありながら,広葉樹は雑木扱いだった時代ですので,そのまま水が張られて立ち枯れたものです。20年前に北海道電力が水を抜いて底を調査したとき,湖底から出てきたアカエゾマツの切り株が演習林に飾られています(写真11)。世界最高の楽器材料になったはずですが・・・。
 パルプ材を販売したお金で北大理学部を建てたのです。関東大震災直後の昭和4(1929)年に建てたので,耐震性がとにかく重視された時代,コンクリートの厚いしっかりした建物となっています。壊すのが大変なくらいです。



左:写真10 1955年7月の朱鞠内湖     右:写真11 朱鞠内湖の湖底から採取したアカエゾマツの円盤



 昭和29年と平成16年の台風被害



写真12 1954年15号台風による北大苫小牧
演習林における風倒

 洞爺丸台風(昭和29(1954)年9月26日)による被害です(写真12)。台風は渡島半島,積丹半島,宗谷地方を進み,その東側にあった北海道の大部分の施設,農地,森林に大被害を与えました。倒木と折損の森林被害は合わせて2,700万m3に及びました。北大苫小牧演習林のストローブマツとバンクスマツは,ほとんど倒れました。カラマツの造林地や雨竜演習林もひどい状態でした(写真13)。トドマツでは,例えば0.5haの範囲で倒れなかったのは,径30cm以上のものでわずかに42本中10本でした。実際には針葉樹はもっと被害があったように思います。でも,細いのは比較的被害が少なくて,広葉樹も少なかったようです。  これら倒木は一度に売れないので,水中貯木しました。数年後に材質試験しましたけど,腐れはなかったようです(写真14)。



        左:写真13 苫小牧演習林のカラマツの風倒(1954年9月26日)

       右:写真14 朱鞠内湖に風倒木丸太を水中貯木(1955年7月)



 25年で利用適性が広いラジアータパインを育てるニュージーランドの林業


 法隆寺を修繕した宮大工の人間国宝西岡常一さんは,百年かかって育った樹を使えば100年もつと言っていますが,私は30年で育てて100年もつ家を造るべきと思います。ニュージーランドでも20年前から,25年生のラジアータパインで100年の建物を目指しています。
 写真は,ニュージーランドの林野庁長官室に掛かっているものです(写真15)。上は234年生のリム,下は改良した26年生のラジアータパインです。年輪幅は1cmもあるのですが,早材と晩材の密度に差がないように改良したので,単板をとってもムラが少ない良い材です。また,育林にも自信があるので,少ない本数で植栽しています。250本の収穫に対して250本を確実に育てる発想です(写真16)。



左:写真15 ニュージーランドのラジアータパイン林業
(上:リム234年生,下:ラジアータパイン26年生)

写真16 ラジアータパイン人工林

 優良木の冬芽から組織培養して発芽,発根させ,クローンを室内,屋外で育てていきます(写真17)。組織培養の苗は値段が高いけれども間違いない。間違いないから高くても買われ,植栽本数を減らすことも可能になるようです。



写真17 組織培養で苗木生産



 新しい北海道林業


 「森林,林業の今昔」ということで,いろいろお話しましたが,今後は,今後の林業があると思います。それには,造林木の開発の際に,材質研究を必須にすることだと思います。林木育種を利用の視点から考えることです。是非,林業試験場と共同で,新しい材(写真18)の開発を行ってほしいと思います。  ニュージーランドのラジアータパイン林業のような儲かる林業を創設してもらいたいものです。この北海道に,しっかりした林業が育まれることを願っています。



写真18 北海道で期待されるグイマツ×カラマツの品種グリーム




※ 平成17年12月9日,林産試験場で行われた講演をまとめたものです。 


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