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●特集 教室内の空気質の現状と対策方法の検討

シックハウスは何故なくならないか-最近の事例から-

北海道立衛生研究所 健康科学部 生活保健科長 小林 智



空気についてもっと考えてみよう

 室内空気の汚染による健康影響として,シックハウス症候群が大きな社会問題となりました。しかしながら,私たちは自分が呼吸している空気のことを普段あまり意識していません。そこで,空気について少し考えてみましょう。

 大切なものは,それがなくなってみるまでは,そのありがたさに気が付かないものです。水のありがたさはのどが渇くまで意識しませんし,食物の大切さは腹が減り飢えてくるまであまり考えません。空気の場合はどうでしょうか。なくなってしまったら,10分も経たないうちに,空気のありがたさを意識する間もなく,この世ともおさらばです。空気はそれほど大切なものですが,私たちはその大切さを日頃ほとんど意識していません。「空気のような人」という言葉を聞いたことがありますか? 普通は,いるのかいないのかわからないような存在感がない人を意味しますが,本来ならば「一時もいなくては困る大切な人」くらいの意味に使って欲しい言葉です。

 空気の重さはどれくらいかご存じですか。空気は1立方メートル当たり,つまり1m×1m×1mの大きさで,おおよそ1.2kgほどの重さがあります。意外と重いでしょう。私たちは1日に空気を10~25立方メートル呼吸しているので,20kg前後の空気を体内に取り込んでいることになります。私たちは毎日水分を2kgくらい,食物を2kgくらい取り込んでいますから,空気をいかに多く取り込んでいるかわかると思います。その上,私たちは1日の約90%を室内で暮らしていますから,それが汚染されては健康に影響が出ないはずがありません。そこで近年よく見聞きするシックハウス症候群が登場したわけです。


室内空気と健康


 シックハウス症候群は,室内環境中の化学物質に暴露することによって生じる,皮膚や目・鼻など粘膜の刺激症状や頭が重い,疲労感が取れないなどの不定愁訴(体のどこが悪いのかはっきりしない訴えで,検査をしてもどこが悪いのかはっきりしないもの)等の健康影響を指しています。

 近年の住宅は,冬でも暖かく暮らせるように気密性が高くなりましたが,換気についての配慮が足りなかったため,換気量が不足するものが多くみられました。一方では,安価で丈夫でしかも見た目もきれいな住宅を作るために,材料に化学物質がたくさん使われました。その結果,室内の空気が化学物質で汚染されたことが,シックハウス症候群の原因と考えられています。

 種々の化学物質の中で,特にホルムアルデヒドやトルエンなど建材に由来する揮発性有機化合物(VOC)が注目されました。そこで,に示した室内空気中化学物質13物質について厚生労働省により,濃度の指針値が設定されました。さらに,平成15年には国土交通省による建築基準法の改正(内装材に使うホルムアルデヒドの制限や換気装置の設置義務等)が行われました。その結果,室内空気中の化学物質濃度は指針値があるものについては概ね低減化が見られましたが,指針値のある化学物質の代わりに他の化学物質が使われるなど新たな問題点が明らかになってきました。

表 厚生労働省指針値



シックスクールが発生し,近くの地区センターに避難して授業を行った事例

(1) 問題の経緯

 オホーツク海に面した長閑(のどか)な酪農地帯にあるA小学校は,創立100年を記念して校舎を新築しました。校舎の老朽化が進み,また児童数の減少が目立ってきたので,近隣の学校との統廃合も検討されましたが,地域の住民の強い要望により新校舎が建てられました。待ちに待った新校舎で授業を始めて程なく,目,鼻,喉の痛みや,頭痛・吐き気を訴える児童や教職員が出てきて,その人数が徐々に増えてきました。学校で調べたところ,全児童17人中10人に,教職員9人中3人に症状が出ていました。新校舎を使い始めたことによって,シックハウス症候群いわゆるシックスクールが発生しました。

 そこで,教育委員会・先生方・父母で話し合い,児童・教職員の健康をまず優先することにして,当面近くの地区センターに移って授業をすることになりました。新築校舎での授業はわずか40日ほどで終わりました。

 A小学校は前年11月末に完成し,1か月後に行われた学校環境衛生の基準に定められた室内空気中の6物質(ホルムアルデヒド,トルエン,キシレン,パラジクロロベンゼン,エチルベンゼン,スチレン)の検査で異常がないことを確認し,冬休みが終了した1月18日から使用開始したばかりでした。教育委員会はシックスクールの原因を解明するために,民間の検査機関に依頼して延べ3回の室内空気質調査を実施しました。厚生労働省が定めた室内空気中化学物質13物質の濃度はいずれも低く,指針値をクリアしており,原因がわかりませんでした。そこで,教育委員会は当所(衛生研究所)に原因調査を依頼しました。

(2) 原因の究明

 新校舎で健康影響が発生し,避難先の地区センターで症状が治まるとの情報を得ていたので,両者の空気中化学物質濃度を比較すれば,原因が突き止められるだろうと考え,調査しました(写真1,2)。

 新校舎で化学物質臭が最も強いと言われている体育館に入ったところ,強烈な化学物質臭を感じました。100物質ほどの化学物質濃度を測定し比較したところ,2種類の化学物質(1-メチル-2-ピロリドンとテキサノール)が比較的高濃度で新校舎のみから見つかりました。これら以外の化学物質濃度は非常に低いレベルでした。これらの化学物質がどこに使われているのか調べた結果,教室や体育館の壁に塗られた,安全性が高いと考えられている水性塗料の成分であることがわかりました。

 私たちが測定したのは,児童・教職員が暴露した時点から4ヵ月ほど経過していましたから,当初の室内濃度は相当高かったであろうと考えられます。揮発性が高いため,測定時には揮散してしまった化学物質があった可能性も否定できませんが,今回のシックスクールの原因として,これら2物質が関与した疑いが強く示唆されたので,これらの室内濃度を下げる試みを行いました。

写真 室内空気中化学物質の捕集の様子,分析機器

(3) 対策

 発生源が壁の塗装に使われた塗料だということがわかったので,換気の徹底とベークアウト(室温を上げて,化学物質の放散速度を高め,その後換気を行って化学物質濃度を下げる方法)を行いました。換気は問題発生後,1日当たり2~4時間ほど窓を開放して行いました。7月下旬から8月末までは,10時から14時まで室温を35℃にして,その後2時間窓を開放してベークアウトを行いました。その結果,10月下旬には,1-メチル-2-ピロリドンが当初の1/200である5μg/m3に,テキサノールは1/20の25μg/m3に下げることができました。こうして,今年4月からは新校舎で児童が元気に勉強や運動に励むことができるようになりました。



おわりに

 室内空気中の13物質については指針値が設定されていますが,これら以外の化学物質は安全だという意味ではありません。どんな化学物質でも,空気中の濃度が高くなれば,多かれ少なかれヒトに何らかの影響を及ぼす可能性があります。建物を作る際には必要最小限の化学物質を使い,さらに入居する前に換気を良く行って,化学物質濃度を十分に低くすることが重要です。また,入居後も常に換気に注意して,きれいな空気を呼吸することが健康を維持する上で大切なことだと考えています。

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