第18回 札幌まぼろし温泉物語

札幌まぼろし温泉物語

2011年8月31日(水)
環境・地質研究本部 地質研究所 藤本 和徳(ふじもと かずのり)

こんなお話をしました

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札幌市の市街地西部に接して北側には手稲山の斜面が広がり、その南東側には琴似発寒川を挟んで、三角山、円山、藻岩山が連なっています。明治~昭和前期にかけて、手稲山の北東山麓には3軒、円山の西側に1軒、南東側に4軒の温泉利用施設がありました。このうち、円山周辺の5軒について紹介いたします。

円山温泉は中央区宮の森にありました。明治30年頃に発見され、大正時代の資料には宿舎の名称が「遊仙館」とされており、昭和初期の資料には「木村屋」という休憩所となっています。

界川温泉は中央区双子山3丁目にありました。昭和2年8月に「延命園」という名の旅館がオープンしました。この温泉水は、古くから付近の農民が浴用や飲用に利用していたようです。

札幌温泉は中央区界川1丁目にありました。付近の土地分譲を行っていた札幌温泉土地(株)が「札幌温泉」という名称で、大正15年5月9日から営業を開始しました。土地分譲における人を集めるための核としていたことが想像されます。この施設で利用していた温泉水は定山渓温泉から引いていました。また、円山からの電車も自社で経営していました。

藻岩温泉は、山鼻温泉あるいは松浦温泉とも呼ばれ、中央区南13条西23丁目にありました。松浦丑次郎氏が明治25年に自己敷地内に温泉を発見し、明治31年から「風詠館」という名の旅館の営業を始めました。

温泉旅館「不老閣」は中央区旭ヶ丘2丁目にありました。大正末期から昭和15年頃まで営業していたようです。

これら施設の温泉水は加温を必要とし、いくつかは加水も必要としていた可能性があります。従って、温泉水そのものを集客の宣伝文句には出来なかったでしょう。集客のための好条件としては、都市札幌の近傍であること、また、当時は市街地を一望でき、絶景を楽しむ適地であったことが考えられます。

定山渓温泉では、大正7年に「佐藤温泉」が「元湯ホテル」に改名し、三階建ての本格的旅館になり、定鉄(蒸気機関車)が営業開始しました。昭和4年には、定鉄の電化により3往復が16往復に大幅増便され、時間も約1/2に短縮し、乗客が3~4倍に増加しました。定山渓温泉が身近となり、市民感覚としては高温で湯量が豊富な温泉に興味が移行したと考えられ、その結果、市街地西部山麓の温泉がまぼろしになったと考えています。

札幌市内の温泉のうち定山渓や小金湯などを除いた市街地に注目すると、いずれもボーリングにより開発されたものです。地質研究所の調査では、利用している井戸が43、未利用や廃止された井戸が26です。利用している井戸のうち、最も早くに開発されたものは、1984年に地質研究所が敷地内でのボーリングによって存在を明らかにした深さ550mにある35℃の温泉水です。現在も庁舎横の車路の融雪のため、冬期間に必要に応じてポンプで汲み上げています。

質問にお答えします

 

質    問

回    答

ボウリングの間隔は? 今回紹介した温泉はすべて自然湧出です。
紹介していただいた「まぼろし温泉」の内容について、詳しい資料はありますか? 北海道立地質研究所報告第81号の資料の中に「札幌の市街地西部山麓にあった温泉」が有ります。
なぜ、まぼろし温泉に注目しようとしたのですか? ①元々、温泉の開発や利用が専門で、②札幌の歴史に興味があり、③古い「札幌のパンフレット」を見ていると、いくつかの温泉が目にとまり、徹底して資料を集め出しました。そして、④温泉のあった場所が家の近所で確認しやすかったこともあります。

昔の資料をたくさん紹介されていましたが、どのようにすればこうした資料を見つけられますか?

インターネットにおいて適当な言葉で検索します。書籍がヒットすると、図書館でさらに検索します。札幌市立図書館には、北海道関係の古い資料が豊富で、資料室のものも閲覧可能です。また、古い新聞のマイクロフィルムの閲覧も可能です。新聞は年・月を特定して、後は根気よく探します。古い「温泉案内書」や「パンフレット」はインターネットで購入できます。情報の一部については、現地取材を行っています。

さらに詳しく知りたい方は・・・

  動画北海道公式チャンネル

  案内チラシ

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ご協力いただきました

ドトールコーヒーショップ北海道庁店

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