「ユリノキ」
(学名:liriodendron tulipifera l. 英名:tulip tree)
道南農試の正門脇に、1本の巨木が聳えています。横津岳から残雪が消える頃、若葉が萌みはじめます。初夏の盛りを迎える頃には、樹冠は緑で覆われて、ユリのような、チューリップのような、うすクリーム色の大きな花を咲かせます。それはまもなく、ドサンと落ちる。晩秋には、不思議なかたちの葉を落とし、横津岳が冠雪する頃、越冬準備を終えるようです。
短い期間の花の季節に、ぜひ、お出かけください。“田園の幸福”を感じることが出来るかもしれません。
右の画像をクリックすると、ユリノキの1年がご覧いただけます。
ユリノキに与えられた“花ことば”は“田園の幸福”です。その訳は、この樹の存在が人々にのどかな自然のたたずまいを与えてくれるところにあるようです。
この木、ユリノキ属の起源については、化石が北米やグリーンランドの中世代の白亜紀層(今から1億3500万年から7000万年前)から多数出土し、この時代に最も古い型のユリノキ属が出現したものと考えられています。しかし、発祥の地にはいろいろな説があり、まだ、はっきりしたことは分かっていません。
日本での最初の発見は、昭和9年、岐阜県の中新世(約2000万年前)の化石からです。これらの地層から発見される仲間の化石で、私たちが知っているものには、セコイヤやメタセコイヤがあります。中国の湖南省で、樹齢1000年のユリノキの最大樹が発見されたという報告があります。
ユリノキの学名は、リリオデンドロン ツリピフェラ リンネ(liriodendron tulipifera l.)でlirion(ユリ)とdendron(樹木)と合わせて「ユリにかかわりのある木」という意味で、tulipiferaは「チューリップによく似た形の花が咲く」ということを意味し、英名では tulip tree と呼ばれています。しかし、日本で立派に通用する俗称名では、ハンテンボクといいます。ハンテンボクとは葉の形状を半纏(はんてん)に見立てたためのようです。
一方、ユリノキの根部や樹皮にはいろいろな薬効があり、北米のインディアンや中国の人々の間では民族特有の病気の治療法が現在まで伝わっているようです。
日本に初めて渡来したのは明治初期のようです。当時の明治政府は学監として招かれていたアメリカ人学者、モレーから、東大教授で我が国の本草学の草分けとして最高の地位を占めていた植物学者の伊藤圭介に種子が贈られ、同氏が育てたものの一部を新宿農学所(現新宿御苑)に植えたものが最初であるとされ、日本のユリノキ2世達は、この樹から数多く生まれました。
しかし、当道南農試のユリノキはおおよそ90年以上前に、当試験場設立当時に記念樹として植えられたものと思われますが、確かな来歴は不明です。
因みに、ユリノキの繁殖はあまり簡単ではなさそうです。この種子は、翌春まで貯えると、その間に種子の硬実変化が進むので、「採り播き」といって、その秋のうちに播種しないと発芽が困難になるようです。