水産研究本部

試験研究は今 No.81「イトウの養殖技術」(1991年10月25日)

イトウの養殖技術

  イトウは日本では北海道だけに棲むサケ科魚類であり、淡水性魚類で最も大型の魚として知られています。また、釣りの好対象魚、あるいは環境開発が進むにつれてその数が道東などで激減したことから「幻の魚」としても有名です。この「幻の魚」は最近、環境庁のレッドデークブックで危急種に指定され名実ともに「幻」の称号が与えられました。

  このように減少するイトウの数を増やすため、昭和40年代から北海道教育大学釧路分校あるいは北海道大学水産学部などで試験研究が行われてきています。北海道立水産孵化湯(以下、孵化場)では、昭和40年代後半からその増養殖に着手しました。その手始めに、稚魚を北海道教育大学釧路分校の山代教授からいただき、昭和50年代には親となった魚から卵を採ることができました。しかし、現在まで孵化する割合はさほどよくなく、増養殖への効果はほとんどありませんでした。 現在孵化場では、イトウの増養殖を行うのに必要な基礎的調査、つまりイトウの成熟がどのように進むのか、あるいは人工的に卵を採るにはどのようにしたらよいのかについて調査研究を行っています。

  第1に、イトウの成熟がどのように進行するのかについてですが、これに関連したデータはこれまでほとんどありませんでした。孵化場では昭和63年の秋から道北に棲むイトウの成熱の基礎データを蓄積してきました。その結果、イトウの成熟の進み方は他のサケ科魚類に比べ大変特徴的でした。他のサケ魚類の一般的な成熟の進み方と比較した結果を下表に示しました。
    • 北海道で漁獲される主要なエビ
  以上の結果や他のデータから、イトウの養殖上における様々な問題が浮き彫りにされました。それは、主に1)成熟するまでに時間がかかる、2)精巣が小さいことから人工授精を行う際に精液が充分採れない可能性がある、という点にしぼられます。

  1)については、特に雌から卵を採るのに時間がかかることは、イトウの養殖を行う上で大変不都合です。それは大きくするまでの餌代の負担、長い飼育による尾数の減少などが考えられるからです。これを解決するため、孵化場では成長を早めて体長55センチメートル以上にし、成熟開始時期を4年以前に早められるかどうかについて検討中です。

  また2)については、成熟を促進するホルモンを投与して精液量を増加させる方法が知られており、すでに解決済みです。

  第2に人工的に卵を採る方法についてですが、イトウの雌の成熟過程で大変興味深いことがわかりました。それは第1の観察からイトウの雌は秋から冬にかけて成熟直前の状態となって冬を越し、春5月の産卵期を迎えることでした。他のサケ科魚類ではこのように長い間、成熟直前の状態にあるものはほとんどいません。また、春に産卵期を持つことも大変珍しく、日本にはいない野生のニジマスやコレゴヌスなどでみられるくらいです。そこで、冬12月に、イトウの雌から卵を雄からは精液を人工的に採ることができるかどうかについて試験してみました。一般に、魚の成熟を早めるためには2つの方法があります。1つは成熟を促進するホルモンを使うこと、もう1つは成熟に関係する環境の変更、つまり日光の長さや水温の高低を変えることです。ホルモンを使う試験には、シロサケ脳下垂体の乾燥粉末(以下、S-PS)を使いました。

  脳下垂体には成熟を進行させるホルモン(生殖腺刺激ホルモン)が含まれています。北大水産学部の山本喜一郎教授がS-PS投与によりウナギの排卵を導いた事は有名です。 イトウ雌に1990年11月29日からS-PSを投与したところ、12月21日に人工的に産卵させることができました。採卵後に卵に授精させましたが発生には至りませんでした。雄にもS-PSを投与したところ、多量の排精が見られました。環境を変更する試験には、今回は水温を0度から7度まで上昇させる方法を使いました。これは自然では、春5月の産卵期に水温が0度から約7度に上昇することが知られているからです。試験で水温を0度から7度まで15日間、あるいは30日間で上げた場合に、雌は産卵期の成熟状態と同じ様子になりましたが産卵には至りませんでした。

  これらの試験結果は、S-PSがイトウを産卵期前の12月に人工的に成熟させることができることを示しています。またイトウの産卵には水温の上昇だけでなく日光の長さも関わっている可能性があるので、今後さらに試験を行う予定です。

  イトウは北海道特有の魚であり、今後「北海道の魚」として定着する要素は充分あります。 しかし、一方ではサケ稚魚を食べる害魚として駆除の、あるいは「幻の魚」として保護の対象という相反した要素を持つ魚といえましよう。青森県ではイトウを養殖し、地元に高い値(キログラムあたり5000-6000円)で.販売しているそうです。しかし北海道でイトウが高い値で売れたという話は聞きません。これは他県と違い、北海道は海や湖沼の魚が豊かなことに理由があると思われます。むしろイトウは北海道でしか釣れない魚として、その活路を見いだすのがよいのではないのでしょうか。(水産孵化場)