場長室過去記事:20251107石北峠であいましょう
2025.11.7 石北峠であいましょう
秋から冬にかけて、景色なかの緑色がずいぶん薄れてきたように感じます。木々の落葉が進み、一年生の植物は種を落として枯れていきます。
そんな中で、秋まき小麦だけは、ものすごく元気に見えます。

秋まき小麦はこの時期、一定の寒さにさらされることで、その後さらに強い低温に遭遇しても生きのびられる「耐寒性」がついていきます。厳しい環境にさらされることで、より厳しい条件にも耐えられるようになる、このような環境耐性が向上する現象をハードニング(hardening)と呼びます。
一方、耐寒性とはやや異なる特性である「耐雪性」も、北海道では重要です。
雪の下は太陽の光が届かない暗黒条件となります。光がなければ植物は光合成を行うことが出来ません。人間で例えると、食べるものがない状態です。一方、呼吸など生命維持のための代謝は雪の下でも少しずつ行われるため、積雪が長く続くほど植物は消耗していきます。耐雪性が劣る小麦は、雪の下での消耗が早く、特定の菌(カビ)に冒されて枯れていきます。積雪下で容易に枯れず健全に冬を越せる性質を「耐雪性」と呼んでいます。
先述の「耐寒性」とこの「耐雪性」は異なる性質で、例えばロシアやカナダの品種にはかなりの低温に耐える「耐寒性」品種が存在しますが、「耐雪性」は必ずしも強くありません。一方、「耐雪性」が特段に優れるトルコ原産の品種が見つかっていますが、「耐寒性」はかなり劣るという弱点があります。
北海道の冬は、土が凍るほど低温にさらされる地域や、早い時期から長期間根雪となる地域など、多様な環境があります。「耐寒性」と「耐雪性」の双方を高いバランスで持っていることが、北海道での秋まき小麦栽培には不可欠な条件といえます。耐寒性と耐雪性を含めて「越冬性」と呼ぶ場合もあります。
実は、北海道の小麦は、開拓当初からしばらくは、安定して冬を越せる品種がなかったため、春まきが主流でした。秋まき小麦の栽培が春まきを越えて主流になったのは、北見農試が育成した「ホクエイ」(1954)の普及が契機でした。その後も、北見農試は雪に強いことなどを目標に品種改良をすすめていましたが、1970年代に小麦の栽培面積が急拡大した際、実需者からの品質改善を求める強い要望があり、これを受けて優先目標を転換した「チホクコムギ」(1981)を育成しました。
「買ってもらえる」品質を優先して世に送り出した「チホクコムギ」でしたが、大きな欠点として耐雪性が劣ったため、特に雪の多い地域での栽培には苦労がありました。
その後は、「チホクコムギ」の耐雪性改善が重点目標のひとつとなり、耐雪性の評価が行いやすい環境として上川農試が小麦の品種改良に大きく関わるようになっていきます。
具体的には、北見農試が交配した育成系統(品種になる前の若い世代を「系統」と呼びます)の種の一部を、雪の多い上川農試にて栽培し、越冬後の状態を確認して枯れていない系統を選ぶ、という取り組みが行われました。
で、これが、なかなかたいへんだったという思い出話を、先輩から伺ったことがあります。
北見農試は、夏が涼しく小麦の生育がゆっくりとなるため、収穫は全道でも遅い地域となります。一方、上川農試は、積雪が早いため、種をまく時期が全道でもっとも早い地域に属します。北見農試がもろもろの作業を経て種を準備出来るのは頑張っても9月上旬です。一方、上川農試ではほぼ同じ時期に播種をしなければなりません。翌日午前中に届けてくれる宅配便は、当時はありませんでした。
種の受け渡しは、研究員自ら車を運転し、時間と場所を指定して行われたそうです。その場所は、上川農試と北見農試のほぼ中間点、石北峠の頂上でした。
作業服にサングラスの壮年男性ふたりが、峠の両側から車で乗り付け、荷台の物品を載せ替えて足早に去って行く。私の脳内には映画のワンシーンにありそうな風景が浮かびます。
そのようにして手渡しで受け渡された数多の材料のなかから、「ホクシン」(1994)が誕生しています。
北見から上川に手渡された、「チホクコムギ」を片親にした数多くの交配後代が調査されました。調査結果は、ほとんどが「×」(耐雪性が弱いとの意味)だったそうですが、数少ない「○」印の系統があり、その中のひとつが選抜され、後の「ホクシン」となったそうです。当時の○印は、さぞかし輝いて見えたのではないかと想像します。
耐雪性は、北海道での安定栽培に欠かせない特性です。「ホクシン」は、1997年~2010年の間、北海道の作付面積1位を占めました。「ホクシン」の孫にあたる「きたほなみ」(2006)にもその特性が引き継がれています。
今年も、上川農試では「耐雪性検定」の試験区が設置されています。

小麦の品種改良では、収量や品質をさらに向上するため、耐雪性が劣る海外品種などを交配母本に用いており、今後も耐雪性検定は継続していく予定です。
※「耐雪性」は、より詳細には、株が枯死する直接要因となる四種の雪腐病抵抗性に分けて検討しています。本稿では、多雪地域で最も広く発生する雪腐褐色小粒菌核病抵抗性を「耐雪性」として説明しておりますこと、ご了承ください。
上川農試の小麦試験区の向こうに見える大雪山、そのふもとを縫うように石北峠があり、そのもっと向こうには北見農試があります。

私用で石北峠を通過するたび、あの先輩ふたりがこの頂上の駐車場で待ち合わせていたのだと、そこから、あの「ホクシン」が生まれたのだと、感慨深い気持ちが湧いてきます。そんな個人的な感情は、助手席の家族には共感してもらえませんでした。
