場長室過去記事:20260123 百年前の上川農試
昭和がそのまま続いたものとして計算すると、昨年2025年は昭和百年に相当するそうです。
そこで、百年前(1926年)は、当場でどんな試験が行われていたかを調べてみました。
といっても、当該年の詳細な試験成績書が手元にあるわけではないので、『北海道立上川農業試験場百年史』の記載から、該当年の記録をかいつまんで抜き出してみます。
当時の名称は「北海道農事試験場上川支場」で、所在地は永山村(現旭川市永山)でした。旭川市中心部(現・東高校の付近)から1904年に移転して、22年が経過したところです(その後、上川農試は1993年まで永山に所在し、1994年に現在の比布町へ移転しています)。

当時行われていた試験について、主なものを列記します。
1.豊凶考照試験(作況試験)
試験目的は「気象と水稲との関係を調査し、その豊凶を考照する」と記載されています。1948年から「気象感応試験」、さらに1962年には「作況調査試験」へ名称変更されました。作況試験は札幌統計情報事務所(現農政事務所)の業務として農試内に作況調査室が設けられていたそうですが、1985年度で廃止となり、その後道立農業試験場に業務が引き継がれています。
百年前(1926年、大正15年=昭和元年)の概要がこちらです。
表1 1926年の施肥量
| 窒素質 | リン質 | カリ質 | |
| 苗代(3.3㎡あたり) | 人糞尿5.4リットル | 過石75g | なし |
| 本田(10aあたり) | 鰊粕45kg | 過石26.3kg | なし |
表2 1926年の豊凶考照試験(現・作況調査) ※品種「坊主」
| 播種期 | 移植期 | 収量 | |
| 水苗移植 | 5/17 | 6月中旬 | 297kg/10a |
| 直播 | 5/11 | ー | 330kg/10a |
当時は直播栽培が主流でした。移植栽培は、まだビニールがない時代ですので保温して苗の生育を進める形ではなく、移植期が6月中旬(具体的な日にちの記録なし)とかなり遅かったようです。
資料の記録にはありませんが、当時はトラクターなどの作業機械がありませんので作業はすべて畜力と人力で行われていました。
2.水稲新品種育成試験
この年、「上川支場(現上川農試)に水稲育種の中心を移し、道内における本格的な育種事業体制が確立された」との記載があります。翌年(1927、S2)には、農林水産省の水稲育種指定試験が上川支場に設置されています。
翌、昭和2年の資料では、当時の試験目的が、①現存の早熟品種よりも早生のもの、②現存の早熟品種の改良、と記載されているそうです。まずは、生育が早く安定して収穫できるもの、寒さや病気への耐性・収量や品質よりももっと根本の、北海道で栽培できることを目指していたと言えるのではないかと思います。当時の主流が直播栽培であったことからも、なにより早生が必要であったことが容易に想像出来ます。現在でも、直播に適した品種では早生であることが条件のひとつです。
その後、百年の間に、「富国」、「しおかり」、「イシカリ」、「きらら397」、「ゆめぴりか」と、改良が進んできました。過去を調べたことで、今年の展示栽培を眺めたときにいままでと違う感情がわいてきそうです(眺めるだけでなく、作業も手伝います)。
3.水稲栽培・土壌肥料に関する試験
「移植期節試験」、「直播期節試験」、「水稲品種の三要素反応試験」、「水稲栽培範囲試験及び調査」、「重要農作物の乾燥に関する試験(水稲)」、「水田除草に関する調査」などの課題名が確認できました。
いずれも詳しい試験内容は分かりませんが、当時生産現場で主流だった直播栽培と平行して移植栽培の試験が行われています。また、肥料の三要素とは、窒素、リン、カリの試験と考えて良いでしょう。「水稲栽培範囲」はその名称からみて、栽培可能な地域を調査していたのではないかと推察されます。
移植・直播、肥料、栽培適地、除草など、現在も基本にある技術の骨格がすでに取り組まれていたことが分かります。
4.畑作物など
陸稲、小麦(春まき、秋まき)、えん麦、とうもろこし、大豆、小豆、菜豆(いんげんまめ)、えん豆、てんさい、ばれいしょの試験が行われています。地域に適した品種選定が主な目的だったようです。
さらに、桑、アカクローバ、粟、ヒマワリ(採油用)の記録があります。作目が多いのは昔からなのですね。
5.病害虫
水稲のニカメイガ、イネクビホソハムシ(ドロオイムシ)、大豆のマメシンクイガ、だいこんのダイコンバエの課題があったようです。また、桑の凍害に関する調査が行われていました。この頃は養蚕が大事な産業だったのでしょうね。
6.その他
場内に「模範農場」と称して、模範的経営を作り上げて展示し普及する、という取組が行われていました。
田畑輪換の試験も行われていたようです。水田が拡大していった時代ですが、当時から田畑輪換を試験していたことには驚きました。
年をまたいでしまいましたが、「昭和100年」に気づいたことをきっかけに、過去の資料を少しの時間眺めてみました。
百年の進歩は大きく、知識も技術も大きく変わってきています。
一方で、農業技術の大事な根幹は、それほど大きく変わらないのかもしれないとも、感じています。
