自然環境6 ヘア・トラップ調査によるヒグマ生息密度推定
はじめに
近年、農作物被害や市街地への侵入など、人とヒグマのあつれきが全道的に増加しています。ヒグマとのあつれきを減らすためには、防除対策を実施するとともに、被害を引き起こすヒグマを確実に捕獲することが必要です。一方で、北海道のヒグマ個体群を絶滅させないためには、ヒグマを捕獲しすぎないことも重要です。これら両方の取り組みを推進するためには、捕獲数を設定する際の科学的根拠となるヒグマの個体数とその動向を、高い精度で推定する必要があります。エネルギー・環境・地質研究所では、ヘア・トラップ調査という方法を利用し、ヒグマの生息密度を推定しています。ここでは、2020~2021年度に道東・宗谷地域西部(西興部村など)で実施したヘア・トラップ調査の結果を紹介します。
ヘア・トラップ調査とは?
ヘア・トラップとは、杭を4本ほど打ち込み有刺鉄線を張ったもので、ヒグマがそこを通過する際に絡まった体毛を採取する装置です(図1)。採取した体毛のDNA分析により個体を識別し、同一個体が複数地点で識別されたり、複数回識別されたりした情報を統計的に分析することで、ヒグマの生息密度を推定することができます。2021年度は80地点にヘア・トラップを設置し、体毛329試料から38頭を識別することができました(図2)。


調査地におけるヒグマの生息密度
個体識別結果を用いてメスの生息密度を推定した結果、2021年度には0.089頭/km2(95%信頼区間0.046–0.174)と推定されました(図3)。「信頼区間」とは、推定した生息密度の幅を示すもので、幅が狭いほど推定の精度が高いことを意味します。2014年度に富良野市で行った調査による推定では、この信頼区間が0.011–13.488ととても広かったのですが、道東・宗谷地域西部の結果は信頼区間の幅が狭く、高い精度で生息密度を明らかにすることができました。その背景には、農地等を囲うようないびつな形の森林ではなくまとまった形の森林で調査を行ったこと、調査地の面積を200km2から400km2に広げたこと、体毛採取の回数を7回から10回に増やしたことなどの改良点があります。これらの改良によって、同じ個体が複数回・複数地点で繰り返し識別される可能性が高くなり、推定精度の向上につながりました。

密度推定値を用いた個体数動向のシミュレーション
調査地で得られた生息密度の推定値に捕獲数や痕跡発見率といった他のデータを組み合わせ、1990~2020年の道東・宗谷地域西部における個体数動向をシミュレーションしました。本研究で得られた最新かつ高精度な密度推定値を使用することで、2014年度に得られた精度の低い密度推定値を使った場合と比べて誤差幅が大きく縮まり、個体数動向の推定の信頼性を高めることができました(図4)。

今後の展望
以上の成果は、2021年度に実施された北海道ヒグマ管理計画の改定作業において、従来よりも信頼性の高いデータとして捕獲数の上限設定や施策の評価に活用されました。また、2022年度から適用されている第2期管理計画においても、より明瞭な科学的根拠に基づいた施策の実施という形で寄与しています。今後は、まだ生息密度を推定できていない地域や、前回の調査から時間が経過している地域においても調査を実施することで、より的確にヒグマの個体数動向を把握し、北海道が進める順応的管理の実現に貢献することを目指します。
(白根ゆり・釣賀一二三 産業技術環境研究本部 エネルギー・環境・地質研究所 自然環境部)
