水産研究本部

試験研究は今 No.22「ニシンの移動、回遊について」(1990年3月2日)

試験研究は今 No.22「ニシンの移動、回遊について」(1990年3月2日)

Q&Aは平成元年度水産試験研究プラザの質問からです。

Q&A ニシンの移動・回遊について教えてください。

  ニシンの移動・回遊は、系群によって異なっていますので、ここではかっての春ニシン・北海道・サハリン系群を中心に、若干の生態的な知見も含めてお話しします。

  この系群の成魚は、3月始めに越冬場であるサハリン南西のモネロン島(海馬島)周辺の海域から大陸棚の水深200メートル等深線に沿って、鉛直移動を繰り返しながら徐々に南下し、産卵場である北海道へ向かいます。この間に動物プランクトンを盛んに食べ栄養をとり生殖巣を十分に発達させた後、北海道の日本海側沿岸各地の産卵場に来遊し、産卵行動に入ります。

  ニシンの産卵は夜間に岸近くで行われ、卵は海藻などに産みつけられます。産卵時の水温は5~9℃、産卵数は大体年齢に万を掛けた数になります。卵から孵化した後のニシンの回遊については、北海道技師山口元幸氏が大正15年に「北海道西岸で孵化した稚仔魚は、宗谷海峡を通ってオホーツク海に入り、秋には千島列島の間を通って太平洋に入る。ここで約2年間を過ごし、2歳(満年齢)の秋に再び千島列島を通ってオホーツク海に戻り、一部は宗谷海峡を経て日本海に入り、翌春産卵する。オホーツク海に留まった2歳魚は、翌年(3歳)の秋に日本海に出て、ここの成魚と合流し、産卵群として翌春産卵する。産卵後は沖合に出て北上して夏を過ごし、秋から南下を始めて翌春再び産卵し、以後これを繰り返す」(下図)と述べています。

  しかし、この山口氏の説に対しては、南サハリンの産卵ニシンが考慮されていないこと、その後の研究によって太平洋岸の小ニシン(1~2歳)と北海道西岸ニシンとの交流は、ごく一部には認められるものの、ほとんど交流のないことなどが明らかにされ、不十分であることが指摘されています。しかし、山口氏の説が出された大正当時は資源水準が非常に高い時代であり、現在のようにニシン資源が極度に衰退してしまった時代ではこれを確かめるすべはありません。
    • 北海道・サハリンの回遊想定図
    • ニシン漁
  また、昭和60年以降突然増加し、63年までの4年間で約10万トン余り漁獲されたニシンは、58年生まれの単一年級主体の群れでしたが、このニシンは、その形態や生化学的た分析から、北海道・サハリン系群のニシンであることが明らかになりました。北海道周辺でこの系統のニシンが確認されたのは、ほぼ30年振りのことです。このニシンは、最初、日本海側(石狩湾)に出現し、北上してオホーツク海沿岸にも来遊し、61年には稚内イース場やノース場を中心に漁獲され、その後、オホーツク海では北見大和堆付近まで分布範囲を広げました。そして、62年には日本海からオホーツク海沿岸に産卵群として出現しましたが、太平洋側でこの系群ニシンが多量に漁獲されるという現象は見られませんでした。その後、このニシンは、索餌群、産卵群とも見られなくなり、現在ではほとんど消滅してしまったものと推察されます。
 
 このように最近の北海道・サハリン系群のニシンは、山口氏が調査した時代とは異なり、分布範囲も狭くなって太平洋までは回遊していないようですが、主要な産卵場と成魚の生活は日本海、未成魚の成育場はオホーツク海という、成魚と未成魚の生活海域が異なる分布のパターンは変わらずに残っているようです。
(稚内水試)