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酪農試験場

時の話題:2号の1

根釧農試 研究通信  第2号

1993年3月発行)

**時の話題**

1.I BEG YOUR PARDON ?

酪農施設科

満席のノースウエスト機は1993/9/13、無事シアトル、タコマ空港に着陸した。「旅行の目的は?」「研修です。」「どのような研修ですか?」「デイリーサイエンス関係です。」「変わった学問ですね。」と言われ、デイリーサイエンスも知らないのかなと思ったのだが、原因は私がLとRを意識しないで話したためであった。この先通訳なしで研修を無事終了できるのかと不安になってしまった。

最初の訪問地はミネソタで、2回目の訪問である。何度か会っているベーツ名誉教授に案内をお願いしていたので気は楽であった。ホテルに着くと早速ベーツ先生から電話があり、ロータリクラブのようなもので、年寄りが集まってコメディをしながら軽く夕食を食べるので一緒に行こう、と言うのでコメディならいいだろうと同席させて頂いた。しかし、食事が終わっても誰それがいくら寄付をしたと言う報告ばかりでなかなかコメディが始まらない。それもそのはず、コメディと聞こえていたのはコミティのことであった。「もっと英語を勉強しなさい。」とは、翌日ベーツ先生の口から漏れた言葉であった。

ミシガンでは、かの“ミシガンストール”発案者であるビカート教授に、大学付属農場と農家を3箇所案内して頂いた。最初の農家では奥さん手作りのアップルパイをご馳走になった。夫婦とも大学の経済学部を卒業していると言うことで、北方領土の経緯などは私よりも詳しく、ビカート教授に説明していた。都市化の波と後継者不足で離農した農家跡がハイウェーから多く見られた。また、糞尿と廃棄物、排水処理についても規制が厳しくなり、このような施設に対する補助が必要だと農場主は言っていた。

コーネル大学では付属農場と農家2箇所を見学し、木造トラスの低コスト施設、畜舎内での閉鎖型養魚施設の見学を行った。数年ぶりに会う先生もおり、根釧のジリを思わせる天候もあって、ミネソタ・ミシガンと乾燥地帯を通って来た私には居心地が良かった。

バージニアではカウンタースロープ牛舎を発案したコリンズ教授に案内をして頂いた。空港に着くや否や早速l戸めの訪問である。翌日は南部地区、最終日は北部地区へと3日間で1000マイル近くの強行軍であった。コリンズ教授は何度か北海道に来たことがあると言うことで非常に親日家で、夕食にも招待して頂いた。

バージニアのホテルで原科長から、ドイツから返事が来たとのファックスが入る。遥か離れた米国でも非常に鮮明な書類で、最新電子機器の性能の素晴らしさを実感した。ただ、国際電話に関してはフロントが言うように何度やっても直通では繋がらなかった。そのため、交換手を通して国際電話を頼むわけであるが、今度は交換手の英語が早く何を言っているのか判らない。そこで、I BEG YOUR PARDON?。すると同じ事を同じ速度で繰り返してくれる。判らない。もう一度聞く。同じである。SPEAK MORE SLOWLY?。すると、ゆっくりと判りやすく話してくれた。何をどうして欲しいのかをはっきりと言わないと通じない国、米国を再確認した一瞬であった。

約2週間の米国旅行を終え、オランダには9/27に着く。オランダではワーゲニンゲンの研究所で主に糞尿処理関係の講義と、付属農場と農家2箇所を案内して頂いた。2日間ともアムステルダムからワーゲニンゲンまで鉄道で移動したが、切符を買う窓口によっては言葉が通じず焦ってしまった。さらに、研究所で説明を受ける牛舎の各部の呼び方が米国と異なるのには困った。フリーストールではなくキュービクル、ストールではなくボックスなど、図を示しながらこれは何と言うか、と言った調子であった。

ドイツではミュンヘン工科大学の研究所を訪れ、助手の方に付属農場と農家l箇所を案内して頂いた。ドイツ語を知らない英語の苦手な日本人と、英語は苦手でフランス語なら話せるドイツ人の話はどのようなものか察しがつくと思う。

身振り手振りを交えた会話で、何度となく失敗をしながらも楽しい世界1周研修の旅でした。