水産研究本部

試験研究は今 No.121「減少期に入ったマイワシ資源」(1992年10月16日)

減少期に入ったマイワシ資源

  最初に、マイワシ資源減少の兆しが現れたのが昭和63年の冬でした。それから5年後、道東沖のまき綱漁業およびその関連産業は苦境に立たされています。というのは、昭和63年以降、徐々に減少していった道東沖のマイワシの漁獲量が、今年に入って前年の4分の1にまで激減してしまったのです(図1)。この不漁はマイワシを獲る漁業者のみならず、それを加工する水産加工業者や、さらに魚を運ぶ運送業者などの関連産業に非常に深刻な影響を与えています。

  今年の不漁は明らかに、太平洋側のマイワシ資源の減少によるものであると断言できます。

  ここでは”マイワシ資源”の動向について述べたいと思います。
    • 図1

大きな資源変動をするマイワシ

  マイワシは大きな資源変動をする魚として知られています。その変動は江戸時代以前の古文書にも記されています。今世紀におけるマイワシの資源変動を見ると、昭和10年代、マイワシ資源は高水準期にあり、漁獲量は100万トンを越えていました。しかし、昭和20~40年になると、一転して低水準期に入り、漁獲量は日本全国で1万トン前後まで落ち込んでしまい、幻の魚とまでいわれました。ところが、昭和50年代には再び資源が回復し、高水準期を迎えました。そして、400万トンを越えるマイワシが漁獲され、つい4~5年前までそれが維持されていました。しかし、近年、また、減少傾向が見え始め、現在は高水準期から低水準期に向かう移行期にあるものと考えられます。

  マイワシ資源の変動周期は過去の記録によると50~100年といわれ、その変動の幅は1~400万トンという周期の長い、そして振幅の大きい変動をします。このような変動を引き起こす要因としては地球的規模の気候変動であるといわれていますが、そのメカニズムについてはまだ解明されていません。

昭和63年より見られた減少の兆し

  マイワシは冬~春に房総~九州の沿岸域を流れる黒潮の中で卵を産みます。産み出された卵は、黒潮に流されながら孵化し、その子供はシラスと呼ばれ、春に東海地方で漁獲されます。そして、夏~秋には餌を食べるためこ広く回遊し、冬になると越冬のため常磐~房総沖に集まり漁獲の対象になります。

  減少期に向かう兆候は昭和63年に生まれたマイワシに見られました。それは、昭和63年の春、たくさんの卵が確認され、それから生まれたシラスも多く漁獲されたにもかかわらず、半年後の冬、その年に生まれた魚が急にいなくなってしまい、それを対象としていた常磐~房総沖の漁獲量が激減してしまったのです(図2)。しかし、その原因はまだ解き明かされていません。そして、昭和63年以降、たくさんの卵があるのに、新たに生まれる稚魚の量は以前に比べると極端に少なくなってしまいました。さらに最近では、親親魚の資源も減り始め、産み出される卵の数も少なくなってきています。
    • 図2

どんどん減っていくマイワシ

  資源というのは、他の魚に食べれられたり、寿命によって自然に減っていく分(自然死亡)と人間の漁獲によって人為的に減る分(漁獲死亡)があります。そして、その目減りした分は新たに成長して加入してくる若い魚によって補われます(新規加入)。減る分と増える分の収支が合っている場合は問題ありませんが、これがマイナス収支となると資源は減少していきます。

  近年、マイワシ資源は昭和63年以降に生まれた魚がいないため、ほとんどが昭和62年以前に生まれたもの、特に昭和60、61年生まれの魚が主体を占め、その年齢構成の高齢化が進行しています(図1)。漁獲量が徐々に減少していた昭和63~平成3年は、主に新規加入がない分だけ資源は減少していきました。しかし、今年はこれまで主体となっていたマイワシの年齢が5才以上となり、寿命の6~7才に近くなっています。このため、新規加入の減少分に加え、さらに寿命による死亡が以前に比べて大幅に増加し、資源の減少傾向に拍車がかかったものと考えられます。

  今後、このまま新たに加入してくる若い魚が少なければ、資源はさらに減少し、その減少速度はもっと速くなるでレよう。そして、資源の高水準期にしか分布しない道東海域では、あと数年のうちにマイワシはあまり見かけない魚となってしまい、再び、資源が回復して、この海域でまたマイワシがたくさん獲れるようになるには数十年先のこととなるでしょう。(釧路水試漁業資源部 三原行雄)