水産研究本部

試験研究は今 No.132「道東海域の浮魚の魚種交代(1)」(1993年1月29日)

道東海域の浮魚の魚種交替(1)

  いま、道東地方の各港では、マイワシ消滅後、次にどの魚が多量に出現するか、魚種交替が大きな話題となっています。それではまず、当海域において117年前にさかのぽり、そこから現在(平成4年)に至るまで、どの浮魚がいつごろ、どれだけ多獲されてきたか、これについて道東4港(花咲・厚岸・釧路・広尾)の総水揚量から探ってみます。

  浮魚の多獲状態
  道東海域において、漁業生産手段(定置網・流網)が未発達あった明治・大正そして昭和20年ごろまでの浮魚の代表的な漁獲物は、イワシ類(マイワシ)でした。その水揚量(図)は、明治時代が0から最高0.4万トン、大正時代も0から最高が1.1万トン台でした。水揚げが本格化したのは昭和初期で、最高は昭和12年の7.7万トン、その前後の年も4?5万トンの好漁でした。一方、大正8年ごろから釧路沖ではクロマグロの好漁が続き、昭和4年にはこれまで最高の1.1万トンが水揚げされました。
    • 図
  次に、漁業形態の多様化(巻網・棒受網・釣り)と着業隻数の増加や漁船装備が近代化した昭和24年以降、サンマ・スルメイカ・マサバ・マイワシが次々と出現、どれも水揚げが多いため浜では活気にあふれたので、その水揚げ状況を簡単に述べます。まず、マサバが昭和24年に3.7万トン、続いてサンマが昭和31,34,40,48,50,54年と平成2年に10万トン以上、またスルメイカは昭和34年から37年と40年から44年までの9か年は、毎年10万トンないし20万トンj水揚げされました。さらに13年振りに出現したマサバは昭和47年以降、毎年25万トン前後も水揚げされ、そして昭和51年にはマサバが消滅し、マイワシが大量に出現しました。マサバからマイワシヘ魚種交替したあとは、年々水揚量が増加し、昭和58年以降6か年は100万トン以上の豊漁が続きました。これが、釧路港水揚げ日本一を支えたのです。しかし、平成4年にはマイワシの水揚げが激減して14万トンまで落ちこみました。このような過去の水揚状況から推察すると、マイワシ資源が再び回復し、多量の水揚げが期待出来るのは、数十年先になるでしょう。

  なお、優占種の出現状態と魚種交替の過程については、次号に紹介したいと思います。
(釧路水試特別研究員 小林 喬)

トピックス

「釧路の魚」釧路新書第21巻の発刊について

  去る1月14日に釧路市史編さん事務局から「釧路の魚」釧路新書第21巻が発刊されました。この本は同事務局からの依頼により釧路水試の研究員5名が分担して執筆したものです。

  本の構成は4章から成り、200海里時代に入ってからの漁業や、釧路に水揚げされる魚介類の生態、さらにこれからの漁業について分かりやすく解説しています。

  ぺ一ジ数は新書判で267ぺ一ジありますが、内容は漁業者をはじめ市民、観光客までの幅広い読者層を対象としており、写真や図をふんだんに使い、平易な文章を執筆者一同心がけましたので、読みやすいものとなっています。なお、この本は釧路市内の各書店、釧路・帯広の各空港売店、札幌市の丸善南1条店の店頭で販売されているほか、釧路市史編さん事務局(釧路市役所内)に直接申し込むとお求めになれます。
    • 本の構成