水産研究本部

試験研究は今 No.459「生態系の構造を量る試み」(2001年10月10日)

生態系の構造を量る試み

はじめに

  水産資源の数量は漁業の影響だけでなく、餌となる生物や外敵となる生物、それらをとりまく水質環境、といった生態系のさまざまな要因の影響を受けて変動します。したがって生態系の構造を把握することは資源変動のしくみを知ることにつながると考えられます。生態系の構造はあまりにも複雑で定量的に捉えることが困難でしたが、近年、生物体内の「安定同位体比」を調べる研究手法が注目されており、分析技術の向上によって水産学の分野にも広まりつつあります。ここでは、筆者が大学院生時に若狭湾の和田浜というところで行った研究事例を通して、この手法を紹介します。

安定同位体を用いた食物網構造解析とは

  生態系の中でも生物同士のつながりを考える上でもっとも重要なのは、食う-食われるの関係、すなわち食物連鎖です。食物連鎖の根元に位置する植物(一次生産者)、それを食べる草食動物(一次消費者)、さらにそれを食べる肉食動物(高次消費者)と、文字通り鎖のように繋がっています。実際には一本の鎖のように単純ではなく網目のように入り組んでおり、全体として食物網と総称しています。これまで、水生生物の食物網構造についての研究では、胃内容物分析によって種間関係を捉えるのが一般的であったため、概念的なものしか示すことができませんでした。

  安定同位体を用いた食物網構造の研究では、一次生産者から高次消費者にいたるまでのあらゆる生物の体成分を構成する元素である炭素と窒素の安定同位体に注目します。同位体とは、同じ元素でも質量数が異なる原子のことで、放射性同位体がその名の通り放射能を発して変化していくのに対して、安定同位体は常に安定状態にあります。炭素安定同位体には12Cと13Cが、窒素安定同位体には14Nと15Nがあり、その比(13C/12C、15N/14N)を測定します。

  食物連鎖の始めである一次生産者によって合成された炭素や窒素などで形成される有機物は、食う-食われるの関係を介して、より上位にある生物の体内に取り込まれていきます。その過程で、餌となる生物よりもその捕食者となる生物の同位体比のほうが相対的に高くなります。その差は、炭素安定同位体比(δ13C)では小さく(約1‰)、窒素安定同位体比(δ15N)では大きく(約3‰)なることが経験的に得られています。

  したがって、ある海域の食物網構造を調べるとき、調査海域からさまざまな生物を採集し、その炭素・窒素安定同位体比を測定すると、同一の食物連鎖で連なっている各生物体内の炭素安定同位体比は近い値を示すので、それを根拠にして、複雑に入り組んだ食物網から起源を同じくする一本の食物連鎖系列を分離・認識することができます。一方、窒素安定同位体比は食物連鎖の上位にいくにつれて大きく変化する特徴から、食う-食われるの順位(栄養段階)を示します。以上をまとめると図1のようになります。
    • 図1

若狭湾における研究例

  研究海域である若狭湾の和田浜はヒラメ稚魚の放流が行われている砂浜浅海域で、ヒラメ稚魚はしばらく和田浜に多く出現するアミ類を食べて過ごし、成長するにつれて魚食性となって沖合へ移出していきます。

  1998年から1999年にかけて、ヒラメ稚魚が和田浜を成育場とする4~7月に、プランクトンネットや桁網で採集されたさまざまな試料の安定同位体比を測定しました(図2)。イソモク(底生藻類)、アミ類・ヨコエビ類・等脚類(小型甲殻類)、魚類と栄養段階が上がるごとに段階的にδ15N値が上昇していることがわかります。また、プランクトンネットなどで得られた懸濁態有機物(POM)のδ13Cは約‐20‰,底生藻類のイソモクでは約‐15‰でした。POMのδ13C値は日本沿岸で得られている植物プランクトンの値と、イソモクのδ13C値はこれまでの底生藻類で得られている値に似ていました。これらのことからδ13C値が‐20~‐10‰の範囲では,値が小さい生物ほど植物プランクトン起源の同位体比の、値が大きい生物ほど底生藻類起源の同位体比の影響が強いと考えられます。

  図1で示したように考えてみますと、イソモク・ヨコエビ類・等脚類・エビジャコ・ササウシノシタは底生藻類を起源とする一連の食物連鎖系列であると考えられます。また、ヒラメ稚魚の小型個体・マコガレイ稚魚・アラメガレイ稚魚・ハゼ類・ネズミゴチの同位体比は近い値を示し、位置関係から考えるとアミ類を下位の栄養段階にもつ食物連鎖系列と考えられます。特に、ヒラメ稚魚とアラメガレイはアミ類を主要な餌とする餌料競合種として知られていることからもこのことが裏付けられます。一方、ヒラメ稚魚のうち、より大型の個体ほどδ13C値が小さくなる傾向がありました。このことは、ヒラメ稚魚が成長するにつれて植物プランクトン起源の同位体比の影響を強く受けるように変化したことを示しています。その理由として、ヒラメ稚魚が成長するにつれて魚食性に移行し、プランクトンを主食とするカタクチイワシ稚魚などを主な餌料とするようになったためと考えられます。しかし、今回の調査結果では植物プランクトンや動物プランクトン、カタクチイワシ稚魚の同位体比の実測値が得られなかったため不十分であったことは否めません。

  以上の結果は胃内容物分析による従来の知見を追従するものでしたが、これまでは、概念的にしかあらわせなかった食物網構造を、数値軸をもつ1つのグラフ上に定量的にあらわすことが可能になりました。安定同位体比分析という新しい手法を用いることによって、今まで複雑であった生態系の構造をより詳細に解析することが可能であり、今後、資源研究の分野においても応用していきたいと考えています。

海中に浮遊している植物プランクトンなどを含めた微小な有機物
(稚内水産試験場資源管理部 山口 浩志)
    • 図2