水産研究本部

試験研究は今 No.465「サケが森と川を豊かにする-「サケ」が「海洋由来栄養物質」と名前を変えるとき-」(2002年1月10日)

サケが森と川を豊かにする —「サケ」が「海洋由来栄養物質」と名前を変えるとき—

サケと森・川・海の栄養循環

  サケ、またの名前をシロサケ、通称アキアジは、北海道の水産業の代表魚です。また、北海道では、自然環境を守る立場からサケが帰る川は、清浄な良い川の代名詞になっています。このサケが、自然界でも生態的に重要な役割を持っていることが着目されるようになりました。

  遡河性魚類であるサケとその仲間のカラフトマス、ベニサケ、ギンザケなどが、森・川・海の栄養循環で大切な位置にいることが、ここ数年、北アメリカ太平洋沿岸でさかんに研究され、それを利用した事業が行われています。これらアメリカやカナダの研究や事業では、川で産卵して死んだサケが主人公です。そのサケは、Marin Derived Nutrients (海洋由来栄養物質)と定義され、略してMDNと呼ばれています。サケは、海で成長することから、海の恵みを蓄えて川に運ぶことが重要視されているのです。MDN、このサケの産卵後死骸には、日本では特別な名前はありません。ここでは、この産卵して死んだサケをホッチャレと呼びます。森・川・海の栄養循環では、通常、栄養を作るのは山の木々で、落葉として生産した栄養物が川を通じて海へと流れ、順繰りに生物に取り込まれます。ところが、サケは、海で栄養を蓄え山へと遡上することにより、逆の栄養循環を行っているのです。ホッチャレは、川にすむ昆虫や、クマ・キツネ・鳥など山の動物の餌となります。また、その栄養分は腐って溶けて、川の中の藻類に取り込まれますし、クマ・キツネらによって陸域へ運ばれ、その死骸や糞が森の木々の肥料になります(図1.)。
    • 図1

サケ栄養会議

  私は、昨年4月にアメリカのオレゴン州で開催された「サケ科魚類生態系への栄養復元国際会議」、略して「サケ栄養会議」に参加しました。参加総数は約380名で、アメリカとカナダの太平洋北西部沿岸からの参加者が9割を占めました。この地域では、野生のサケ科魚類が河川ごとの系群によっては絶滅危惧種になるほど少なく、沿岸の漁業資源も減少しているため、資源回復を目的に河川でのサケ科稚魚の生き残りと成長を高めるためのプロジェクトが盛んに行われているのです。また、漁業関係者や一般市民のサケと河川環境を守ろうとする意識も強く、NPO(非営利組織)など様々な組織形態で行動する人が多いのです。そのため、この会議では、ホットな話題を討論している活気がありました。

  会議の内容は、生態学の立場からホッチャレと他の生物との関係を研究したものと、サケ科魚類の資源の回復を意図し施肥を行う事業について発表し科学的に検証するものが主でした。河川や湖を貧栄養とし施肥を行う事業では、孵化場で廃棄されたホッチャレを川に直接置く自然に近い方法と、人工的な手間をかけ、農業用化学肥料を川や湖に撒くか、冷凍ホッチャレを粉にして川に噴霧する方法が発表されました。

ホッチャレ(MDN)に関する北海道での研究

  この研究目的は、北海道でホッチャレが河川生物に与える影響を解明しようということに端を発しました。まず、どんな河川生物がホッチャレに集まり群がるか調べようということになりました。この研究は、水産ふ化場病理環境部の伊藤富子さんと行ったものです。1997年から3年間、秋から冬にかけて、表1にある道内の6河川で調査を行い、ホッチャレに集まる底生無脊椎動物や魚類を調べました。(底生動物とは、川の生物を代表するグループで、多くはカゲロウの幼虫などの水生昆虫で、川に生息するサケ科魚類であるヤマベやアメマスなどの主要な餌ともなっています。)その結果、約55の分類群の底生動物と2種の魚類が、ホッチャレに群がっているのが確認されました。そのうち、トビケラ目のトビモンエグリトビケラ属(Hydatophylax sp.)と端脚目のヨコエビの仲間(Amphipoda)が特に多くホッチャレに集まりました。

  ホッチャレにたくさん集まったヨコエビ類は、どちらかといえば雑食で、河川、特に湧水に生息するものと、海と川を行き来するものがいます。この2つのグループがいずれもホッチャレを利用することがわかりました。湧水にすむヨコエビは、伊藤富子さんが飼育実験を行った結果、ホッチャレがあると成長が良いこともわかりました。トビモンエグリトビケラ属は、落ち葉を食うとされていましたが、飼育実験では、サケの肉を食べさせても落ち葉を食べさせたのと同様に成長することがわかりました。サケは、湧水のあるところで産卵する傾向が強いとされています。湧水に多く生息するトビモンエグリトビケラやヨコエビの仲間は、以前からホッチャレを餌にしていたのではないかと推察されます。

北海道のホッチャレ(MDN)の今後

  サケは、先に述べましたように北海道の水産業にとりまして大切な魚です。その種苗生産は人工孵化放流事業によって明治から行われ、今はその事業の成功により、たくさんの親魚が毎年秋から冬にかけて道内各地の河川で見られるようになりました。北海道の孵化放流事業は、ここ数年効率化を計り、河口で必要最小限の数の親魚だけを捕獲するようになり、また、サケの稚魚放流を行い親魚の捕獲をしない河川の数も増えています。川の上流に遡上するサケが増えたことにより、アメマスやサクラマス(ヤマベ)のような河川に生息する他の魚への影響も見逃せません。北海道でも、ホッチャレによって、川の一次生産力が上がり底生動物の現存量が増え、高次捕食者である魚類資源も増える可能性があります。サケの種苗生産事業に求められていることは、単なるコストの効率化だけではなく、他の生き物への影響も考慮した環境にやさしい事業であることが、今後必須条件となるでしょう。そのためにも、サケと河川をとりまく生態系と人の経済活動が共存できる方法を、さらに研究を積み重ね確立していかなければいけないでしょう。
(水産孵化場増毛支場 調査科長 中島美由紀)
    • 表1