水産研究本部

試験研究は今 No.500「礼文島沖で見つかった標識付きニシンに問題あり」(2003年6月13日)

礼文島沖でみつかった標識付きニシンに問題あり

それは一尾のニシンから

  2002年12月,稚内水試資源増殖部のY村君がいつものようにニシンの耳石(じせき)(1)を持ってきて,こう言いました。「船泊のやつですが,ALC(エー・エル・シー)(2)が付いたのがありました。」 私はこの時思いました。ついにでたか,でてしまったか,と。
いんたーみっしょん 専門用語解説1
(1)耳石(じせき):魚の頭の中にある器官の一部で,石灰質の結晶。これで魚の年齢などを調べることができる。

(2)ALC(エー・エル・シー):アリザリン・コンプレクソンという蛍光物質の略語。このALCを溶かした溶液に魚を入れると,耳石などにALCが取り込まれ,蛍光顕微鏡という特殊な顕微鏡で見ると耳石の一部が光って見える。

問題はどこに(1)

  水産試験場では,1996年から厚田,留萌,羽幌,稚内などでニシンの放流事業を行っています。ニシンの放流は,北海道庁が行っている北海道の日本海側に生息するニシン(石狩湾系群(3)ニシン)を増やそうという試み,「日本海ニシン資源増大プロジェクト」と呼ばれている事業の一環として行われています。放流するニシン稚魚にはALC標識が付けられており,漁獲されたニシンの中にALC標識が付いた個体がいないかどうかを調べています。ALCの付いたニシンが見つかると,放流したニシンの移動や産卵回帰性の有無などが分かります。今回,その標識の付いたニシンが,礼文島船泊沖合いの商業刺し網で漁獲されたニシンの中から見つかったという事でした。

今回問題となった標識の付いた個体の情報は,以下の通りです。
  • 漁獲月日と位置:2002年11月20日 稚内と礼文島の間の地点(図1参照)水深130メートル
  • 放流された月日と場所:2000年6月 石狩湾沿岸(厚田村または浜益村から放流)
  • 大きさ・性別・年齢:全長296ミリメートルの♀ 2歳(ふ化後約2年8ヶ月)
  日本海側で放流したニシンが,礼文沖で捕れたということは,一見不思議ではありません。ところが・・・。

  日本海の北部,稚内や礼文島沖,および通称ノース場と呼ばれる水域では,秋から冬にかけてニシンが漁獲されます。ここで漁獲されているニシンには2種類あると考えられています。一種類は稚内沖の水深10メートル以浅で漁獲される石狩湾系群(3)ニシン,もう一種類は礼文島沖からノース場の水深100メートル以深で漁獲されているテルペニア系群(3)ニシンです。放流事業を行っているのは石狩湾系群で,テルペニア系群では行っていません。これまで礼文沖の深みで獲れるニシンはテルペニア系群と考えられていました。ところがその中から石狩湾で放流した人工ニシンが1尾とはいえ見つかったのです。
    • 図1
いんたーみっしょん 専門用語解説2
  (3)系群(けいぐん):魚などの資源を考える際に資源変動の単位となる遺伝集団のことで,水産の世界でのみ通用しているアヤシい言葉。「系統群」とも言う。日本海のニシンは同じような場所で産卵するが,系群毎に産卵の時期が異なり,同じニシンでも系群が異なるとそれぞれの系群間にまたがる子供は生まれない,つまり各集団間で遺伝子の交流がない,と考えられている(生殖的隔離という)。そのためニシン各系群は系群単位で資源が増減する。

  少々正確さを欠くが,分かりやすく「日本人」と「アメリカ人」の例で考えてみよう。どちらも同じニンゲンであるが,住む地域が異なり,基本的にそれぞれの国における人口はもう一方の国の人口と関わりなく増減する。同じニンゲンなので,当然両者の間で子供はできるが,そうなる機会はそうそうあるわけではない。そのため,両者は遺伝的にも少し異なる特徴を持つ。例えば血液型で日本人は約40%がA型であるし,ネイティブ・アメリカンは80パーセント以上がO型だそうである。ただ,こういった遺伝的な差異は,両者間で子供が作れないほどには違わない。これが子供が出来ないほどの遺伝的差異になると,両者は「別種」となる。ニシン系群も,別種ではないが遺伝的に違いが見られる集団といえる。

  現在,北海道の日本海沿岸で産卵しているニシンは石狩湾系群かテルペニア系群であり,そのほとんどは石狩湾系群である。過去に大量に漁獲されていたニシンは北海道・サハリン系群(春ニシン)であるが,現在この系群は北海道ではみられない。

問題はどこに(2)

  稚内や礼文島沖からノース場にかけての水域で秋から冬にかけてニシンを利用しているのは主に稚内,礼文の沿岸漁業者と稚内の沖合い底びき網漁業者です(図2)。これまで水試の見解として,稚内のごく沿岸で漁獲しているニシンは石狩湾系群で,礼文島の漁業者やノース場でニシンを獲る沖底漁業はテルペニア系群を漁獲していると説明してきました。両系群のこの時期の分布場所はかなりはっきり分かれており,また,テルペニア系群は礼文島の漁業者と沖底漁業者が利用していますが,漁場は分かれてます。そのため漁業者の間で資源の取り合いに結びつくような競合はないと説明してきました。稚内の沿岸漁業者は石狩湾系群の放流事業に負担金を拠出していますので,そのニシンを他の漁業者,特に沖底で漁獲されてしまうことを心配しています。これまで水試は,そんな心配はないでしょうと言ってきたわけですが,今回の再捕結果はその心配に対しての配慮が必要になったことを示すものとなりました。
    • 図2

たかが1尾,されど1尾。そして・・・

  今回の事例が「たまたま」であったのか,それとも「頻繁に起こりえる」事なのか,それはまだわかりません。少なくともこれまで「頻繁に」起こってきたことではないと思います。水試では毎年,礼文沖やノース場のニシン調査を行っており,その中で石狩湾系群と思われるニシンはいませんでしたし,ALC付きニシンは1尾も見つかっていませんでした。今回の1尾は調査をした230尾中標識魚の1尾であり,この標本の集団の基本的な特徴はテルペニア系群の特徴を示していました。つまり,今回の例は,「たまたま」テルペニア系群の集団の中に極少数の石狩湾系ニシンが紛れ込んでいたのだろう,と考えています。ただ,本当にそうなのかは,今後さらに調査をしてみなくてはわかりません。今後,頻繁に標識魚が見つかるようでしたら,水試の見解を修正する必要があります。どの様な場合でも説明責任をしっかり果たせるよう,今後も調査を継続していきたいと思います。
(稚内水試 資源管理部 田中伸幸)