水産研究本部

試験研究は今 No.518「焼尻島でニシンの群来がありました」(2004年2月20日)

焼尻島でニシンの群来がありました

  2月。北部日本海側では今年もニシンの時期がやってきました。
 
  水試のニシン関係者にとっては、標本測定、調査、会議、新聞等の取材対応とてんてこ舞いの時期になります。
 
  北海道の日本海沿岸地域で非常に大量のニシンが漁獲された1950年代以前にはニシンの漁期と言えば春、3月頃から始まりました。ニシンを春告魚と呼ぶ所以です。しかし、現在、この海域のニシン漁は2月頃から始まり、かつてのニシン漁より早く寒い時期から行われています。ところが、今年は例年より更に早い1月中から漁獲が急増しました。1月の漁獲だけでも、石狩・留萌支庁管内合計で380トン程度の漁獲となったようです。

  昔も今もこの時期のニシンは基本的に産卵群です。「数の子」のシーズンとも言える最もニシン単価の高い時期で、漁業者にとっては稼ぎ時です。

  普通、1月のニシンには産卵できそうな個体が少なく、2月になってから産卵ができるニシンが多くなることが近年の調査結果から分かっていましたが、今年1月に漁獲された北部日本海沿岸各地のニシンは、そのほとんどがすぐにでも産卵できそうな状態であったことが水試の調査結果で分かりました。
「今年の産卵は早いぞ」という予想が我々の脳裏にも浮かんではいましたが、その情報は突然もたらされました。

  『焼尻島で群来があった』・・・・・と。

群来は2月1日に

  当初、連絡を受けた担当者(筆者のこと)は、ニシンの群来ではなくイカナゴかカレイ類の群来ではないかと思いました(両種でも群来現象はみられます。)。近年、焼尻島ではニシンの漁獲自体がほとんどなくなっており、群来るほどのニシンが島に来遊するということは考え難かったからです。ところが、群来た場所で網を刺した漁業者がニシンを捕ったということで、これは間違いなく「ニシン」の群来現象と確認されました。

  状況説明を少し加えます。

  群来が起こった日は2004年2月1日、群来ていた水深は5~7メートルで、漁業者が朝一番に見つけた時は、沖だし50メートル、浜なり200メートル程度の白濁があったそうです(写真参照)。

  その日の漁獲量は漁船2隻で約180キログラム程度、翌日(2月2日)は3隻が網を入れ、同じ場所からやや沖の海域で操業して約1.7トンの水揚げがあったそうです。値段はオス1箱1,000円強、メスは2,500円強、地元での群来はほぼ50年ぶり(昭和30年以来)とのことでした。
    • 写真1
      雄の精液で白濁した海面(上)とそこで漁獲されたニシン(下)

      (写真提供:北るもい漁協焼尻支所長 高橋 正 氏)

群来のとき産卵していたニシンの特徴

2月1日に漁獲されたニシン(45尾)を測定したところ、次に示す特徴がみられました。

1.体長(尾叉長)25~32センチメートルで、27センチメートル位が最も多かった
(図1)。

2.年齢は1尾を除いて、全て3年生(2001年生まれ)。

3.群来の場所で漁獲されたニシンだけあって、雄、雌とも産卵・放精中の個体ばかり
(一部、産卵後の個体も)であった。未成魚はみられなかった。

4.平均脊椎骨数は54.40で、鱗の特徴や産卵期などを含めて考えると、石狩湾系群 *1
ニシンと判断できた。
    • 図1
焼尻島に群来をもたらしたニシンは、今年1月から2月中旬までに石狩湾から稚内まで漁獲されているニシンと同じニシンであり、大きさや年齢も各地でほとんど差がありません。
これらのニシンはほとんど2001年に生まれた3年生のニシンで、この2001年生まれ群は、近年のどの年に生まれたニシンより資源量が多いと考えられています。よって、今年は他の地域でも群来が起こる可能性がかなりありますが、さて・・・・・?
今後、水試では、焼尻島で群来のあった場所の調査、例えば卵を産み付けていた海藻の種類や、生み付けられた量の推定、卵の発生状況などの調査も行う予定です 。それらの結果に、乞うご期待。

*1 「系群」に関する説明は、「試験研究は今」のNo.500を参照して下さい。
*2 今回の情報提供やサンプルの手配などに関し、(社)北海道栽培漁業振興公社 川下羽幌事業所長及び留萌北部地区水産技術普及指導所ほか、多数の関係者の皆さんから協力をいただきました。この場を借りて感謝します。
(稚内水産試験場 資源管理部 田中伸幸)