水産研究本部

試験研究は今 No.351「エゾバフンウニの塩分耐性」(1998年7月10日)

エゾバフンウニの塩分耐性

  JR日高線の車窓から、海をみる。水平線ではなく、渚近くの海をみる。鉄橋を渡るときには、川の色をみる。このことは函館水試室蘭支場に勤務した4年の間に筆者の習慣になりました。

  出張のときの車窓からの目視観察ですから、季節的に偏っているかもしれませんが、海は濁っていることが多かった。大雨のあとの川の濁流は泥水そのものでした。とくに印象に残っているのは、大雨の直後でなくても、渚近くが濁っていることが多いことでした。河川から運ばれた土砂のうち、細かい粒子が渚線に沿って帯状に遠くまで運ばれ、それがわずかな波浪によっても、再混濁していることによるのでしょう。こんな状態は水産生物に悪い影響を及ぼしているに違いないと考えていました。

  日高の海岸の岩礁地帯ではコンブとウニが重要な水産生物です。河川濁流の影響はこれらの被害として顕在化します。

  1997年11月、200ミリメートルほどの大雨のとき、降りはじめから十数時間後に、渚にウニが大量に打ち上げられました。その岩礁域ではそのような被害が10年も前から毎年のように起きているということです。その後、地元での会議によぱれました。河川濁流とウニの繁死との関係について、何か話せ、ということでした。

  河川濁流の影響を強く受けた場合、ごく沿岸に棲む生物は濁り(あるいは泥の堆積)と低塩分の両方の影響を同時に受けることになります。そのどちらかがウニの繁死の直接原因であるかが問題です。文献を探しましたが、国内ではめぼしいものはありませんでした。極端に淡水に近いような塩分条件におけるウニの繁死に関する調査報告は極めて稀です。というのは、被害が発生した場合、数日後に調査が実施されるのが通常なので、繁死した時点での、塩分と繁死の関係を現場で調査することは困難だからです。

  しかし、上述の十数時間後にウニが繁死したという事実から、その原因は濁りよりも淡水そのものであると考えました。

  そこで、水槽実験によってエゾバフンウニの塩分耐性を調べることにしました。海水を水道水で希釈して、塩分段階0,5,10,15,20,30パーセント。および生海水区を設けて、ウニ20個体を6時間浸漬したあと、それぞれの実験水槽に生海水を流して5日後までの繁死を観察しました。浸漬時間を12時間、24時間とした実験も実施しました。函館水試室蘭支場で実施した実験風景を図1に示しました。

  6時間浸漬したときの、ウニの繁死率を図2に示しました。0および5パーセント区では浸漬10~15分後には水槽表面に泡が盛り上がりました(図1)。そのうちのウニは、口周辺の半透明膜が膨潤していました。10パーセントでも少量の泡が生じました。

  0パーセント区と5パーセント区では繁死率は100パーセントであり、10パーセント区は5~10パーセントでした。15パーセント以上の区では、浸漬時間にかかわらず、繁死はみられませんでした(図2)。
    • 図1
    • 図2
  0および5パーセント区で、浸漬直後に水槽表面に泡が発生した原因は、ウニの体腔液が飼育水中に流出したことです。このことからウニは10パーセント以下では浸透圧調整が十分にできないと推察されました。したがって、極端に淡水に近い条件ではウニは極めて短時間のうちに繁死に至ることになります。

  1997年11月のウニの大量繁死の事例は、今回の実験結果に基づけば、次のように説明できます。河川水が陸沿いに西に流れてウニ漁場に達し、かつ多少の時化によって混合されて1/3海水ほどに希釈された海水が、ウニが棲息している深さまで達したことによって、ウニは極めて短時間のうちに致死的な損傷を受け、あるいは基盤への付着能力を失って、波浪によって海岸に打ち上げられた。

  棘皮動物(ウニ、ヒトデ、ナマコの類)はすべて海産であるという事実が示すとおり、ウニ類は一般に塩分の比較的高い海域を好む性質があるといわれますが、エゾバフンウニはウニ類の中では広い塩分耐性を示すことが分かりました。しかし、極端に淡水に近い条件ではひとたまりもありません。実は、ウニの殻は貝殻とちがって孔だらけなのです。

  最近、河川流域の保水力が低下しているといわれます。100ミリメートルほどの降雨によっても濁流が発生して、海が濁ります。そのことを心配して、漁協婦人部などが植樹活動を行っています。1997年11月のウニの大量繁死の原因は、濁りではなく極端な低塩分化であると判断されましたが、渚近くの濁りの持続が、コンブやウニのほかに、稚魚やそれらの餌生物を通じて、水産生物に及ぼしているであろう影響については、まだよくわかっていません。その方面の調査も待たれます。

(栽培漁業総合センター 西浜雄二)