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林産試験場

木質系住宅のすすめ その2

木材の良さについて その2
人間にも優しい木にもっと親しんでほしい

きのこ部主任研究員 葛西 章


 

はじめに
前回は、主に木材は地球にやさしいという点を重点にお話をしました。今回は、木材は人にもやさしいという点に重点を置いてお話します。


図1 飼育箱の種類と子ねずみの生存率の関係木は人にやさしい生活資材
木材は昔から、経験的に人にやさしい材料であると言われてきましたが、最近の研究によって、木は触覚、視覚、聴覚、嗅覚のどれをとっても、人間にやさしいすぐれた材料であることが、科学的に明らかになってきました。
1)木は多孔性に富むため手足の肌触りが良く、ストレスが生じない。
2)木目が美しく、目の疲れの原因になる紫外線を程よく吸収するため、目にやさしい。
3)人の気持ちをいらいらさせるかん高い音を程よく吸収するため、音の響きが良い。
4)木の香りは脳から発するα波を増加し、ストレスを和らげる。
このように、木材はすぐれた材料であることが、科学的に明らかになってきました。
そのほか、医学的な研究や調査によっても、木材は動物や人間にとって無くてはならない材料であることがわかってきました。
種類の異なる飼育箱で、生まれたばかりの子ねずみを飼育する実験が行われました。その結果は図1に示すように、金属の飼育箱では10日後に50%、コンクリートでは90%が死にましたが、木の箱での死亡率は10%程度に留まっています。
また、ねずみの夫婦を飼育箱で飼い、生まれた子供の哺育の様子を調べる実験も行われました。親が子どもをきちんと育てて世代が正常に継続して行ったのは、木の箱に木屑を敷いたときのみで、コンクリートやアルミの飼育箱では、親が子ねずみをかみ殺すなど、何らかの哺育異常が発生しました。


校舎は木造が良い
人間についての研究結果はどうでしょうか。
木造の校舎と鉄筋コンクリート造の校舎で、子どもと教師の疲れに与える影響を調べた研究があります。
小学生を対象とした「眠気とだるさ」および「注意力集中の困難さ」についての調査結果を図2に示しました。図2からわかるように、明らかに眠気や注意力に与えるマイナスの影響は木造校舎の方が鉄筋コンクリート造校舎より少ないことがわかります。また、鉄筋コンクリート造校舎でも少なくとも内装部分を木材で覆うことにより、疲労度が低下することもわかりました。
図3に教師の蓄積的疲労、すなわち気力の減退について調査した結果を示しました。その結果、大人の場合も子どもの場合と同様に、木造校舎の方が鉄筋コンクリート造に比べて疲労の少ないことがわかります。そして、勤務年数が長くなるにつれて、木造の場合は変わりませんが、鉄筋コンクリート造では、明らかに疲労がたまって行くことがわかります。このように、木材は子どもの教育環境としても、教師の勤務環境としても優れていることがわかりました。
図2 校舎の種類と小学生の疲労症状訴え率との関係図3 校舎の種類及び勤務年数と教師の疲労感訴え率の関係


図4 乳癌による死亡率と木造率との関係木造住宅に住むと長生きする
住環境の寿命に及ぼす影響についても研究されるようになりました。
図4に西日本地域の女性を対象に、木造率と乳癌による死亡率の関係を調査した結果を示しました。1968年から10年毎に調査したものですが、木造率が高いほど乳癌による死亡率も減っています。そのほか、肺癌、食道癌、肺臓癌についても、乳癌と同様に木造率が高いほど死亡率が減少することがわかっています。
また、木造住宅270 件、鉄筋コンクリート集合住宅62件を対象に、死亡年令を調査した研究があります。事故の場合を除いた平均死亡年令は、木造住宅のほうが鉄筋コンクリート集合住宅より、9才も長生きしていることがわかりました。なぜ、木造住宅では長生きするのか、種々の角度から研究されていますが、木のある生活環境に住むと、ストレスがたまりにくいことも、その原因の一つではないかと言われています。
このように、木材は人間の住環境を作る上に、無くてはならない材料であることが、科学的、医学的に明らかになったわけです。


おわりに
以上、最近の科学的、医学的研究成果から、木は人間の住環境を構成する上で無くてはならない材料であることを紹介してきましたが、だからといって鉄やコンクリートなど、他の材料を排斥する目的でこれらの紹介をしたわけではありません。それはその1でも述べたように、木といえども万能選手ではないからです。他の材料の優れた性能を生かし、互いの特徴を取り入れた異種材料との複合的な使い方を考えることも必要だと思います。
木は再生可能な資源です。成長量に見合った分だけ木を使う、伐ったら必ず植える、この関係を維持していく限り、森林は人類に対して永久に、地球環境の保護と生活資材の供給という恵みを与え続けてくれるのではないでしようか。