水産研究本部

試験研究は今 No.354「「少ない資源」からのスタート~資源管理研究の今日この頃~(前編)」(1998年7月31日)

「少ない資源」からのスタート 資源管理研究の今日この頃 (前編)

  むかし、水産資源管理の基本的な考え方に「最大持続生産量」という理論がありました。その英語の頭文字をとったMSYという略称は、資源を減らさないためのギリギリの漁獲量という言葉に意訳され、資源の永続利用のために守るべき値として重要視されてきました。これは、生物資源は常に自分の量を増大させる機能をもっており、毎年、前の年よりも増えた分だけを漁獲するようにしていれば資源は減ることはないだろう、という考え方に立つものです。つまり、高額預金に発生する毎年の年利だけで生活を立てようとするのと同じです。しかし、年利暮らしには、ひとたび生活が苦しくなると元金を食ってしまい、その結果取得利子が下がり食っていくためにまた元金を引き出すという、破産への悪循環が付き物です。

  今世紀後半の世界的な水産資源の減少は、言うまでもなく、利子だけで食べていくととができなくなった我々人間が資産としての水産資源の運用に失敗し、破産の悪循環にはまり込んだ結果なのです。これからの水産業界を背負っていく若い世代(筆者も一応まだそのつもり)は(海に残されたほんの少しの「元金」からスタートしなければなりません。「元金」が少なければ利子暮らしはできませんから、年利がいくらかを示すMSYは当面、資産運用の目安として実行力を持ちません。

  MSY管理は、大きい資源があるときに始めて現実的な効力を持つ考え方なのです。漁業者、研究者を問わず、水産業の次の世代を担う私たちは、「少資源ディーラー」として、少ない資源を効率よく資産運用するための奇抜で大胆なテクニックを考えることが宿命となっています。しかし今、資源の減少傾向に歯止めがかからず、予断を許さない事態におちいった資源が多数あります。・・・絶滅・・・海の大きな資源では絵空事のようだった言葉が、いよいよ現実の事態として現れてきたのかもしれません。

  実は、人間によって利用される生物資源には、一定限度以下に資源量が減った場合、その時点ではまだある程度獲ることができ、それ以降獲ることを一切やめたとしても、もはや資源量が回復することはなくこの世から消滅してしまう可能性があることが言われています(資源の不可逆性といいます)。たとえば、あまりに数が少なくなると広い産卵場でオスとメスが巡り合う可能性が急激に小さくなり、手づくりができないまま死んでしまったりするので、数の減少に歯止めがかからなくなるかもしれません。あるいは、さまざまな生物が複雑に生活場を共有しあって生きている海では、あるひとつの資源が減っていくときに、それまでその資源が利用していた生活環境を他の生物が占領してしまい、漁業をやめ種苗を撒いたとしても、もはや増える余地がないということもあるのです。「将棋崩し」の遊びをイメージして下さい。最初に将棋の駒を積み重ねて作る駒の山が、さまざまな生物の生活圏、つまり生態系です。その形を崩さないように、ちょっとずつ駒(魚)を引き抜いていけば駒の山の形は維持されますが、度が過ぎれば山は崩れてしまいます。あわてて引き抜いた駒、つまり種苗を山に戻しても、駒は虚しく山から滑り落ちるだけ・・・ということです。

  2つの例を挙げましたが、これらの、(1)もう元に戻すことのできない資源水準の評価(専門用語で「絶滅リスク評価」といいます)、(2)資源が住む生態系全体への見通しという2点を、私たち少資源ディーラーはまず頭に置く必要があるのではないでしょうか。しかし残念ながら、これまでの水産資源管理の学問にこのような問題を解決する方法を見つけることはできません。

  そこで、これに危機感を抱く先駆的な研究者達は、現在、「保全生物学」という学問に身を投じ、資源管理への応用を検討し始めています。保全生物上は、主に数が少なくなった生物の絶滅リスクや、様々な生物が生活している状態の維持(これまでは一つの資源のことで頭がいっぱい)、遺伝的多様性の保持(資源中の遺伝子パターンが似てくると絶滅の危険性が増す)、景観の保全など、まさに地球上の人間を含めた生物すべての生き残りの問題を取り扱う学問です。いま、資源管理研究の先端では、この新しい学問との接点を探しながら、より効果の出る資源管理手法の開発にむけて努力しているところなのです。後編では、筆者等が手がける新たな資源管理のアイデアを一つ紹介します。

  減ったといっても、少資源国家・日本において、北海道の海に蓄えられた現物資産は他県に比類なきものです。北海道で水産資源を管理するということは、この莫大な資産の高利回り運用によってさまざまな付加価値を産み出しながら、北海道全体の経済力を上昇させていくことなのです。北海道の漁業や水産試験研究の規模を小さくしてしまうことは、自らこの莫大な蓄えに対する主権を放棄することであり、将来の北海道、ひいては日本の対外的価値をおとしめる愚行です。次の世代を担う漁業関係者や水産研究者には、北海道の運命の手網を握る実務者としてのプライドと章任感、そして起死回生のアイデアを生み出す頭脳が求められているのです。

(稚内水産試験場 資源管理部 星野 昇)