水産研究本部

試験研究は今 No.327「小さな流れに大きな未来(イトウに学ぶ河川環境)」(1997年12月5日)

小さな流れに大きな未来(イトウに学ぶ河川環境)

  今や幻の魚として有名になったイトウは、脂ビレを持ったサケマスの仲間の中では最も大型化する魚としても知られており、1メートルを超えることも珍しくありません。大型のイトウは魚食性が強く、大きな川の下流域や湿原の湖沼に主として生息し、一部海へ出て生活する個体もいます。しかしさけ科魚類であるイトウの産卵場所は一般に河川の上流域や小さな支流で、一生のうち何度も産卵する彼らは、産卵の度に河川を上下して移動します。

  従ってイトウの生活は強く河川に依存していると同時に、上流から下流まで河川全体を利用して生活しています。ですからイトウの住む川とは上流から下流まで良好な環境が維持され、しかも途中に障害物がなく連続した流れを形成していなければなりません。そうした意味でイトウは生物側からの河川環境を評価する指標として極めて重要な魚であるといえます。

  イトウ資源を維持する上で、産卵環境を保護しなけれぱならないことについては今更言うまでもないことですが、ここでは最近明らかになってきた稚魚期の特徴的な生息環境とその生態を紹介し、河川の多様な環境を維持する事の重要性を明らかにしようと思います。

イトウ稚魚の移動

  イトウの産卵期は他のさけ科魚類と異なり4~5月頃で、稚魚は7月下旬から8月上旬の頃に河床の砂利を抜け出して泳ぎだします。浮上したての稚魚は体長3センチメートル弱で、他のさけ科魚類の稚魚同様、産卵場所近くの淵尻や瀬の脇の浅くて流れ\の極めて暖かい場所に上流を向いてとどまり、流れてくる小さな昆虫などを盛んに食べています。しかしこうした観察ができるのはせいぜい1カ月の間で、8月下旬~9月上旬には産卵場所の近くではほとんどその姿を見ることができなくなってしまうのです。北海道に生息し、産卵環境も似通っている他のさけ科魚類であるサクラマスやアメマス、オショロコマなどの稚魚では、この時期遊泳力がついてくるとともに、近くのより餌の得易い流心よりや淵の中に進出し、多くの個体は大きな移動をせずに過ごすのに、イトウの稚魚はいったい何処へいってしまうのでしょう。

イトウ稚魚の特異な生息環境

図
  4センチメートル前後に成長したイトウ稚魚の秋から冬にかけての典型的な生息場所は、本流の脇を流れる落差のほとんど無い川幅1メートル前後の小支流です。れらの支流が本流の河川敷内を流れて本流に合流するまでのわずかな区間に見いだされるのです。

  産卵された河川から姿を消した彼らは、本流を経由してこうした小河川に入り込み、岸のすぐ近くの浅くて流れのほとんどない、河岸からのびる草木の根の下に潜んで、昼間はほとんど姿を見せません。流れが少ししか無いので、川底には多くの場合泥や落ち葉などが堆積し、決して餌の豊富な環境とは思えません。そこで彼らは夜半過ぎの夜中から明け方にかけてこれらの隠れ場所から出てより水深のあるところでユスリカなどの小さな水生昆虫の幼虫や羽化成虫を食べて生活しています。つまり浮上直後の昼行性から夜行性に変化しているらしいのです。ですから昼間彼らはほとんど目に付かなくなってしまうのです。将来の猛魚も稚魚の時期にはなんとつつましやかな生活を送っていることでしょう。こんな状態ですから、水温が5度を割る11月上旬頃でも体長はせいぜい5センチメートル前後にしかなっていませんので、彼らにとって初めて迎える冬がとても厳しいものであることは想像に難くありません。ですから年を越して春を迎える頃には、その数はずっと少なくなってしまうようです。その上イトウ稚魚のこうした特殊な生息環境は今では決して多いとは言えないのです。河川改修などによって、氾濫原の中をちょろちょろと流れる小河川の多くは破壊され、隠れ場所を提供する河岸植生も失われているからです。今や産卵環境とともに、このような稚魚の生息環境の多少が、イトウの生息数を制限している大きな要因になっている可能性も十分考えられます。

  林道などを車で走っていると思わず見落としてしまいそうな本流脇の小さな流れ。何気なく破壊してしまうそんな場所が、幻の魚「イトウ」をはぐくむ重要な環境なのです。

(水産艀化場病理環境部 川村洋司)