水産研究本部

試験研究は今 No.277「能取湖ホッカイエビの資源増大」(1996年8月30日)

能取湖ホツカイエビの資源増大

  能取湖湖口の永久化工事が完成した1974年以降、ホッカイエビが増え始めたので、12年間の禁漁を解いて、1978年にかごによるエビ漁業が再開されました。

  漁獲量は1982年に48トンに達しましたが、その後すぐに減少して、1985年に11トンになりました。この対策として漁獲努力量を抑制するとともに、エビ資源動向に関する調査を開始しました。12年間にわたるモニタリング調査から、資源回復の過程と再生産に関する興味あるいくつかのことがわかりました。

1.資源はどのようにして回復したか?

図1
  漁期間中の延かご数で(一人当りかご数×人数X操業日数)で表した総漁獲努力量は、1980年ころには2、3万かごでした。資源量に対して漁獲圧力が強すぎたために、数年後には漁獲量は減少しました。

  1986年から4年間、総漁獲努力量を4,800かごに抑えた結果、単位努力当り漁獲量(キログラム/かご・日・人)は増加しました(図1)。1991年以降、総漁獲努力量を8,000かごに増やした条件下で、漁獲量水準はほぼ60トンほどで、高位安定状態が続いています。

2.能取湖にはエビが何尾いるの?

図2
  操業日誌(かご揚げごとの漁獲量と1キログラム当りの尾数)から漁期間中の総漁獲尾数を知ることができます。では漁期初めにはエビかごで漁獲し得るエビは何尾いたのでしょうか。デルーリー(De Lury)法を用いて、エビの数を推定しました。

  かごに入るエビの数は多少増減しながら日ごとに次第に減少します。単位努力当り漁獲尾数を縦軸に、累積漁獲尾数を横軸にして、日ごとに点をうつと、グラフは右下がりになります(図2)。

  この図で18日目で終漁になっていますが、仮にそのまま漁を続けると、かごに入る工ビの数はやがて0になります。ということは、エビがすべて獲られたことを意味します。その累積漁獲尾数が漁期初めにいたエビの尾数になります。この値は図に示した回帰直線め式にY=0を代入することによって得られます。1994年の例では約1,230万尾です。終漁時の累積尾数が670万尾ですから、漁獲率は55%だったことになります。総漁獲努力量が8,000かご前後になった最近の5年間の平均では、エビ資源尾数は1,080万尾、漁獲率は50%でした。

3.来年の漁獲量は?

  湖の縁辺部のアマモ場の17地点でソリネットを100メートル曳網してエビを採集しました。10月に調査すると、当歳エビ(未成熟)、1歳雄エビ、抱卵エビが採集されます。各群は体長や抱卵の有無によって容易に区別できます。それぞれはほぼ0.5歳、1.5歳、2.5歳に担当します。ソリネットで採集された発育段階別の入網数を、曳網面積1,000平方メートル当りに換算した値を資源指数としました。藻場の面積や実際の桁効率がわからないので、指数としたのです。

  1歳雄エビは次の年の漁期に漁獲の主対象となるものです。1986年から1995年までの、この指数と単位努力当り漁獲尾数の関係をみると、やや高い相関がみられました。このことから、次年度の漁獲量を予測できるようになりました。

4.漁期前までの生き残りは?

  ホツカイエビは1歳のときには雄ですが、その後性転換して2歳では雌になります。9月ごろに2歳の雌は1歳年下の雄と交尾した後、産卵します。腹肢に抱かれた卵から、翌春の5月にエビが艀出します。

  エビの体長が大きいほど、卵数が多くなる傾向がみられます。最近は抱卵エビが小型化しているので、この5年の平均卵数は260個でした。

  ソリネット調査で得られた発育段階別資源指数と、デルーリー法で求めた漁期初め資源尾数および残存尾数から、発育段階ごとの生残率を計算してみました。

  ここでは詳細は省略しますが、艀出幼生の10月までの生残率は5パーセントでした。当歳の10月から1歳の10月までの生残率は43パーセント、その後漁期初めまでの9ヵ月間の生残率は58パーセントでした。艀出から漁獲対象になるまでの通算では1パーセントでした。

  平均卵数が260個ですから、1尾の親から生れた艀出幼生のうち、漁期前までに2.6尾が生き残り、その半分が漁獲され、残ったエビが再び抱卵するということになります。

5.もうこれ以上は増やせない?

  最近の漁獲量はほぼ60トンであり、なお少し増えていますが、一方ではエビが小型化してきました。エビの資源尾数と平均体重の間にはやや高い負の相関があることがわかりました。アマモ場はエビにとっては餌場・棲み場ですから、アマモ場が限られているかぎり、エビの棲息量にも限界があるのでしょう。

  能取湖のホツカイエビ漁業は「自然生産力の高度利用による管理型漁業」の射程を越えたようです。この成果は操業日誌を記載することから始まりました。漁業は最大の調査です。(函館水試室蘭支場 西浜 雄二)